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第79話 AI計算基盤緊急対策会議

作者:急急如律令


2026/06/16 15:00 公開

霞が関の会議室には各省庁の担当者、大学関係者、半導体メーカー、研究機関、通信事業者が集まっていた。

議題は「国内AI計算基盤不足への対応」

本来ならGPUとHBM不足の中でのデータセンター整備の話をする会議だった。しかし、議論は別の方向へ流れていた。

 スクリーンに映る一枚のグラフには、全国では計算資源不足がほぼ全機関で不足していた。ただし、一校だけ例外がある。利用枠拡大し設備増設、性能向上で右肩上がり。会議室が静かになる。

担当者が言う。
「まず確認したい」
「独自HBMとは何ですか」

半導体メーカーの技術役員が即答した。
「あり得ません」

会議室がざわつく。
「質問の答えになっていませんが」
「だからです」

役員は真顔だった。
「HBMは大学で作るものではありません」

別のメーカー技術者も頷く。
「製造装置、積層技術、検査設備、量産ノウハウの全部必要です」
「数千億円単位です」

別の委員。
「しかし実際に動いています」
「報告書ではそうなっています」

会議室が再び静かになる。あり得ないはずだが動いているという矛盾。

今度はアクセラレータの話になる。スクリーンが切り替わる。独自アクセラレータと行列計算特化の研究用途運用について。

担当者。
「こちらはどうですか」

今度は大学教授が答えた。
「普通なら不可能です」
「普通なら?」
「試作までは可能です」
「大学でもやります」
「しかし、運用規模まで行くことはありません」

設計、試作、評価、論文と、ここまでは大学で可能と記す。量産、保守、継続供給は企業がすることが常識だった。

ある通信事業者の技術責任者が口を開く。
「実際どれくらい異常なんですか」

半導体メーカーの担当者は少し考えて、例え話をした。
「大学の研究室が旅客機を自作して航空会社を始めたようなものです」

会議室が静まった。研究機や試作ならありえるが定期運航は別。

別の委員が言う。
「それは言い過ぎでは?」

今度は研究機関側の専門家が答えた。
「いいえ、むしろ控えめです」

さらに説明が続く。HBM、積層、熱、歩留まり、検査のどれも難しい。一つ成功しても量産で失敗する。量産しても運用で失敗する。運用しても信頼性で失敗する。それが半導体だった。なのに大学では利用率が上がっている。つまり運用に耐えている。

ある若い官僚が資料を見ながら呟く。
「あり得ないですね」

誰も反論しない。そして会議の空気を変える発言が出る。

経産省の担当者。
「では仮に全部事実だったとします」

会議室が静かになる。
「その場合、我々は何を議論しているのでしょうか」

誰もすぐには答えられない。GPUかHBM不足対策の問題ではない。もし本当に大学で作れるなら、供給不足という前提そのものが変わる。

半導体メーカーの役員が言った。
「我々はそれを確認したい。本当に再現できるのか、特殊条件なのか。個人の能力なのか、技術なのか」

そこが本質で会議室の全員が頷く。レアアースの時も同じだった。偶然なのか、再現可能なのかが国家戦略を左右した。

最後に議長がまとめる。
「現時点の結論」
「あり得ない、しかし現実に動いている。だから調査する」

会議室は静まり返った。もし誤解ならただの成功事例。もし本当なら半導体産業の前提が変わる。その重さをその場の全員が理解していた。そして会議終了後。参加者たちの多くは同じ感想を抱いていた。
「大学が異常なのではない。」
「説明できる理論の方が、まだ存在していないのではないか。」


◆AI計算基盤緊急対策会議・第二回

前回の会議は奇妙な結論で終わった。

「あり得ない。しかし動いている」
だから調査する。それだけだった。今回は調査結果の中間報告だった。

会議室は前回より参加者が増えている。半導体メーカー、装置メーカー、商社、調達専門家など誰もが一つの疑問を抱いていた。

「本当に大学で作っているのか?」

議長が口を開く。

「本日は別の仮説を検討します」

スクリーンに文字が映る。

仮説1:どこかに製造委託している

会議室に頷きが広がる。こちらの方が遥かに現実的だった。

あるメーカーの役員が言う。
「私ならまずそう考えます」

大学が設計し企業が製造し大学が運用する。これなら理解できるし研究機関でもよくある。ファブレス、試作委託、共同開発は特に不自然ではない。

調査担当者が報告する。
「主要ファウンドリ」
「国内製造委託先」
「海外製造委託先」

全て照会済み。

「結果、該当なし」

会議室が静かになる。

「秘密契約では?」
「調査しました」
「痕跡なし」

別の委員が口を開く。

「大学名ではなく企業経由の別名義では」

調査担当者。
「それも確認しました。見つかっていません」

商社の調達担当者が腕を組む。
「そんなはずはない」
「半導体ですよ、どこかで作らないと存在しない」

誰も反論しなかった。今度は別の資料。設備搬入、部材購入履歴、物流記録を徹底的に調べている。しかし巨大な製造設備が搬入された形跡はない。

「クリーンルームは?」
「大学レベルです」
「量産工場ではありません」

ある委員が半ば冗談で言った。
「地下工場でもあるんですか」

笑い声が起きる。だが長く続かない。誰も説明できないからだ。

通信事業者の技術責任者が言う。
「待ってください」
「量産規模を誤認していませんか」

会議室が少しざわつく。

「どういう意味です?」
「巨大生産を想像している」
「でも実際は違うかもしれない」

スクリーンが切り替わる。大学の利用統計をみても企業向け量産品ではない。研究用途や共同利用で限定供給でしかない。

「年間数千万個ではない」
「数百、数千、数万」その程度かもしれない。

半導体メーカーの役員が考え込む。それなら話が変わる。TSMC級工場は不要。巨大設備も不要。しかし今度は別の問題が出る。
「それでもHBMは説明できません」

即座に返ってくる。積層、配線、歩留まりは少量でも難しい。

二時間、三時間と議論が続く。だが、結論は出ない。最後に今まで黙っていた、七十代で業界では有名人の半導体製造装置メーカーの技術顧問が口を開いた。
「皆、前提を疑っていない」

会議室が静かになる。

「前提?」
「製造委託だ」

顧問はゆっくり続ける。
「我々は半導体は工場で作るものだと思っている」

誰も反論しない。事実だからだ。しかし。顧問は続けた。
「レアアースの報告書を読んだ」

会議室の空気が変わる。皆が普通の工場工程では説明できないあの件を知っている。
「もし本当に錬金術が介在しているなら。製造委託を探しても見つからない」

完全な沈黙。若い官僚が苦笑する。
「それは報告書に書けません」

会議室に笑いが広がる。だが誰も完全には否定しなかった。なぜなら今のところ、それ以外の説明も存在しないからだった。

会議終了後の廊下で、ある委員が同僚に言う。
「製造委託説はほぼ消えたな」
「そうですね」
「すると残るのは?」

同僚は少し考えた。そして小さく答えた。
「もっと説明したくない仮説です」

二人とも苦笑した。技術者人生で「超常現象の方が説明しやすい」そんな結論に近づいたのは初めてだった。


◆「提出要請」

その通知が届いたのは、春休みの終わりだった。差出人は経済産業省と文部科学省のAI計算基盤緊急対策会議事務局。

件名:「技術評価のための試料提出要請について」

会議室に桜庭教授、玲花、明里、若い技術者たち計算センター運営メンバーなど全員が集まっていた。机の中央には通知書を誰もすぐには口を開かなかった。

最初に沈黙を破ったのは明里だった。
「来たね」

「来るとは思ってた」と玲花が頷く。

通知の内容は丁寧だった。任意協力で強制ではない。ただし事実上は断りにくい。

提出希望。

独自HBM試料、性能測定データ、信頼性データ、製造工程説明。つまり「見せてほしい」だった。

若い技術者が言う。
「どうします?」

すぐに答えは出ない。提出するのは簡単そうに見えるが、問題は山ほどある。

桜庭が整理を始めた。

提出するメリット

・疑念を減らせる
・国家レベルの支援を受けやすくなる
・他大学への展開が進む
・怪しい噂を潰せる

提出するデメリット

・技術流出
・再現不能部分の発覚
・政治利用
・想定外の介入

会議室が静かになる。

玲花が言う。
「問題は性能じゃない、作り方よ」

全員が頷く。実際に動いているし性能測定なら問題ない。ベンチマークも信頼性試験もある。しかし工程説明になると話が変わる。

若手研究者が苦笑する。
「報告書に何て書くんですか」
「まず砂を採取します」

笑いが起きる。

「粘土状にします」

さらに笑い。

「不純物を取り除きます」
「そこまではいい」
「その後?」

全員の視線が自然に蓮へ向く。蓮は困った顔をした。
「説明は難しいです」
「でしょうね」

レアアースの時も同じだった。結果は再現できる。しかし工程が通常科学の枠から外れている。

明里が腕を組む。
「工程説明を求められても、説明できない部分がある」

若い技術者が続ける。
「余計怪しく見える」

全部見せても理解されない。一部を隠すと怪しまれる。どちらも問題で厄介だった。すると計算センター運営の学生が手を挙げた。

「別の問題もあります」

全員が見る。
「提出した瞬間に全国が欲しがります」

会議室が静まる。確かに今はHBM不足が全国規模。もし国が「大学製HBMは高性能」と発表したら。企業、大学、研究所の全員が欲しがる。しかし蓮は一人で大量供給はできない。

桜庭が頷く。
「技術の問題ではない供給責任の問題だ」

研究試料として出しただけなのに、期待が膨らむ。それは危険だった。しばらく議論が続いた後。
玲花が口を開いた。
「提出自体は賛成」

全員が見る。
「ただし条件付き」
「どんな条件です?」

玲花は通知書を指差した。
「性能評価は受ける」
「試料も出す」
「でも製造ノウハウの提出は別問題」

会議室が静かになる。

確かに性能評価は科学的。ノウハウ提出と技術移転では意味が違う。

桜庭も頷く。
「まず事実を確認してもらう。その後の話はその後だ」

最終的な方向性がまとまり始める。提出する。ただし性能評価用試料のみ。製造工程は限定公開。詳細ノウハウは保留。

会議終了後。人が減った会議室。明里が通知書を眺める。
「なんかレアアースの時と似てるね」

蓮も頷く。あの時も最初はサンプル提出だった。そこから国家プロジェクトになった。窓の外では第二計算棟の工事が続いている。
明里はため息をついた。
「これで終わる気がしない」

蓮は少し考えて答えた。
「たぶん始まりですね」

その言葉に誰も反論できなかった。なぜなら国が本気で調べ始めた時点で、この話はもう大学だけのものではなくなっていたからだった。


◆「まず、本物かどうかを確認しよう」

提出から一か月後の場所は国立研究機関の評価施設。大学から提出されたHBM試料は、厳重な手順で管理されていた。研究員たちの最初の感想は単純だった。

「どうせ測定ミスだろう」

失礼な話ではある。だが半導体業界では珍しくない。発表値がおかしいが測り直すと普通の値になる。よくあることだった。しかし今回は違った。

一回目は測定成功。二回目は同じ結果。三回目もほぼ同じ結果。

研究員が沈黙する。
「測定器壊れてない?」

別チームで測定し同じ結果。別施設でも同じ結果。

「おかしい」
「いや、おかしいのはHBMの方だ」

評価報告書は会議室へ送られる。

AI計算基盤緊急対策会議を臨時開催し担当者が資料を投影する。会議室は異様に静かで誰も先に喋らない。なぜなら全員が同じ性能評価結果の数字を見ているからだった。

メモリ帯域は想定以上。消費電力は想定以下。熱特性は想定以上。耐久試験は問題なし。

ある官僚が口を開く。
「評価機関の結論は?」

研究員。少し困った顔。
「正常動作しています」
「不具合は?」
「確認できません」
「測定ミスは?」
「確認できません」

再び沈黙。半導体メーカーの技術役員が資料を見続けて数分は誰も話さない。

そしてようやく呟いた。
「面白くない」

全員が見る。

「普通ならどこかで失敗している。それが半導体だ」

歩留まり、熱、信頼性、経年劣化のどこかに問題が出る。しかし評価結果は綺麗すぎた。

別の専門家が言う。
「量産品ではないからでは?」
「その可能性はあります」
「選別された試料」
「最高品質のサンプル」

それなら少なくとも少しは説明できる。しかし今度は別の資料が映る。大学運用実績の利用期間が数年で稼働率は高水準で障害率は低い。

専門家が頭を抱える。
「サンプルだけじゃないのか」

会議室の空気が重くなる。今までは「誤解かもしれない」という逃げ道があった。

しかし性能評価が終わり試料は本物だった。そこで議論が変わる。今までは「本当に動くのか」これだった。今は「なぜ動くのか」になっている。

経産省の担当者が言う。「次の段階に進みます」

全員が顔を上げる。
「次?」
「製造能力の確認です」

会議室がざわつく。それは最も触れたくない部分だった。性能ではなく作って再現でき供給できるのか。

半導体メーカーの役員が小さくため息をつく。
「そこか」

実際に国として重要なのは性能ではない。一個作れることではない。
百個、千個、一万個と供給できるかが問題だった。

会議終了後の廊下で若い官僚が先輩に聞く。
「結局どう思います?」

先輩は少し考える。そして答えた。
「最悪だな」
「最悪?」
「政策担当としては偽物なら楽だった」

若手官僚は苦笑した。

確かにそうだ、偽物なら終わりで誤測定なら終わり。しかし本物だった。つまり、次に考えなければならない。もしこの技術が本当に存在するなら。国家としてどう扱うのか。それがようやく始まろうとしていた。


◆「開けてみたい」

HBM評価結果が正式に報告されてから一週間後。AI計算基盤緊急対策会議。今回は官僚よりも技術者の比率が高かった。

半導体メーカー、メモリメーカー、製造装置メーカー、材料メーカーと大学研究者。

議題「試料解析について」

会議開始から五分。あるメモリメーカーの技術者が口を開く。
「今すぐ分解したいです」

会議室に笑いが起きるが、全員同じ気持ちだった。性能評価は終わって本物だった。なら、次は中を見るのが技術者として当然だった。

別のメーカー技術者。
「むしろ見ない方が不自然です」
「構造解析は必要です」
「学術的にも産業的にも」

経産省担当者。
「どの程度分かるものですか」

技術者たちは顔を見合わせる。

「かなり分かります」
「断面観察、元素分析、配線解析、層構造解析」
「少なくとも構造は分かります」

ここで大学関係者の一人が尋ねる。
「製造方法まで分かりますか」

技術者たちが少し困る。そして。

ベテラン技術者が答えた。
「普通の半導体ならかなり推定できます」

配線構造、絶縁膜、接続方法、材料がわかる。完成品を見て工程を推定する。半導体業界では日常だった。

だが別のメーカー技術者が苦笑した。
「ただし今回は分かりません」

会議室が静かになる。

「まだ見てないですよね?」
「見てません」
「なのに?」

技術者は評価資料を指差した。
「評価結果がおかしい」

低消費電力、高帯域、高信頼性の全部同時に成立している。普通はどこかでトレードオフが出る。

「つまり中身を見ても説明できない可能性があります」

会議室が少しざわつく。その頃、大学の桜庭研究室で同じ議題が話し合われていた。

「解析依頼が来ると思います」と若い技術者が言う。

「来るでしょうね」と玲花は即答した。

明里は不思議そうな顔をする。
「そんなに見たいの?」

会議室が静かになる。そして全員が頷いた。
「見たいです」と即答だった。
「私でも見たい」と若い技術者。

別の学生。
「断面写真だけでも欲しい」

さらに別の研究者。
「研究者としては我慢できません」

明里が笑う。
「そんなもの?」

桜庭が答える。
「そんなものだ」

技術者にとって未知の高性能デバイス。それは宝箱で中に何があるのか知りたくて仕方がない。

すると蓮が静かに言った。
「見ても大丈夫ですよ」

全員が振り向く。

玲花。「本気?」

「構造は見えます」と蓮は頷く。
「それで?」
「作り方は分かりません」

そして玲花が額を押さえる。
「そういうことか」

宝石とレアアースもずっと同じだった。完成品は存在し構造も測定できし性質も解析できる。しかし最後の一歩で「なぜそうなったのか」そこだけが説明できない。

数週間後のある日、正式に大学へ解析協力要請が届く。

断面観察、電子顕微鏡解析、材料分析を半導体メーカー各社が共同で参加する。技術者たちは少し興奮していた。新発見があるかもしれない。常識を覆す構造があるかもしれない。未知の製造法の痕跡があるかもしれない。

そして何より。「ようやく中が見られる」

その期待でいっぱいだった。一方で桜庭は提出書類にサインしながら苦笑していた。

「彼らは構造を見れば答えが分かると思っている」

玲花も苦笑する。
「技術者らしいわね」

蓮は静かに窓の外を見る。そして小さく呟く。
「見れば、もっと分からなくなると思います」

その予感は後に解析チーム全員が共有することになる。