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第78話 人材まで足りなくなる

作者:急急如律令


2026/06/15 15:00 公開

計算センター第二棟の建設が進むころ。大学内では別の現象が起き始めていた。最初に気づいたのは学生課だった。

「今年、多くないですか?」

進路担当者が資料を見せる。企業説明会の参加企業数が前年比の約二倍。

「AIブームだから?」
「それだけじゃないですね」

その頃、計算センターの運用室で学生たちは普段通り作業していた。サーバー監視、ジョブ管理、利用者サポート、冷却設備ログ確認。一見すると地味な仕事だった。しかし、企業側から見ると違った。

・数百台規模のクラスタ運用。
・研究者との調整。
・利用率管理。
・障害対応。
・高密度冷却。

学生のうちから経験している人材は珍しい。ある企業の採用担当者は資料を見ながら言った。

「これ、本当に学生ですか」

AI企業、クラウド事業者、半導体メーカー、研究機関の皆が同じ反応をする。論文だけではない、資格だけでもなく研究者が本気で使う設備を実際に運用している。

秋、学内合同説明会は例年より明らかに企業が多かった。明里は通りがかりに会場を覗く。

「人が多い」

玲花も少し驚いていた。クラウド事業者、AI企業、研究開発型メーカーが特に混んでいる。計算センター関係者を狙っていると共通点に気付く。

ある学生が企業担当者と話している。

「ジョブスケジューラの設定を担当していました」

担当者の表情が変わる。

「どの規模ですか?」
「数百ノード程度です」

沈黙。

「学生ですよね?」
「修士二年です」

別の場所。

「冷却系の運用を」
「液冷ですか?」
「一部です」
「……詳しく聞かせてください」

企業側が前のめりになる。就職説明会というより面接に近い。

「始まりましたね」
「足りないんだろう」と桜庭も頷く。

今は大学、企業、研究機関の全国でデータセンター建設が始まっている。しかし設備だけでは動かないので運用する人が必要だ。ところがそういう人材は少ない。

GPUを知っている人。
HBMを知っている人。
クラスタ運用を知っている人。
研究利用を知っている人。
全部知っている人。

さらに少ない。

そして、この大学にはそれを経験した学生がいる。冬、採用内定の報告が増え始める。

大手クラウド企業。
半導体メーカー。
AIスタートアップ。
研究機関。

例年よりかなり早い。中には修士進学前に声がかかる学生もいた。

「まだ卒業しません」
「分かっています」
「でも連絡先だけでも」

そんなやり取りまである。

明里は笑いながら言った。
「売れっ子だね」

学生は困った顔をする。
「そんなつもりじゃ……」

すると玲花が言う。
「経験に価値があるのよ」

実際そうだった。授業だけでは得られない。教科書にも載っていない。
設備不足。
利用者争奪。
冷却問題。
ジョブ管理。
共同利用。

それらを現場で経験している。やがて企業側から別の相談まで来るようになる。

「インターン受け入れできませんか」
「共同教育プログラムは」
「学生を派遣してほしい」

計算センターはいつの間にか、研究設備だけではなくなっていた。

人材育成機関の役割まで持ち始めていた。ある日、省庁担当者が視察に来た際に計算センターの利用率や成果報告を聞いた後。最後にこう尋ねた。

「最大の成果は何ですか」

研究成果か、論文か、特許か、誰もがそう思った。しかし桜庭は少し考えてから答えた。

「人です」

会議室が静かになる。

「設備は作れます」
「予算も集められます」
「しかし経験者は、すぐには作れません」

窓の向こうで作業する学生たちを見る。

その言葉に視察に来ていた担当者たちは、予想以上に真剣な顔でメモを取っていた。

なぜなら全国で不足し始めているのはGPUだけでも、HBMだけでもない。それを使いこなす人材だった。


◆当たり前すぎて、誰も聞かなかった

その冬、計算センター第二棟の建設が本格化していた。企業利用、共同研究、学外利用のどれも利用者は増え続けていて拡大傾向にある。

全国ではGPU不足やHBM不足、サーバー不足。そんなニュースが毎日のように流れていた。しかし、この大学ではなぜか増設が進んでいる。

最初は誰も気にしていなかった。

設備が増えるのは良いことだというだけだった。だがある日の運営会議で他大学との共同利用について話していた時。

若手准教授がふと口にした。
「そういえば」
「うちは何で確保できてるんです?」

会議室が妙に静かになる。

明里が首を傾げる。
「何が?」
「GPUです」
「HBMも」

資料を指差す。他大学は納期一年や納期未定で調達中。一方、この大学は第一棟完成し第二棟建設中。さらに増設計画進行中。

「……あれ?」と誰かが呟く。

確かにおかしい。発注履歴や納品記録を確認する。

「普通に届いてますね」
「普通じゃない」

材料研究者が即答した。

「今、全国で不足してるのに届いてる」

会議室の空気が少し変わる。

それまでは皆が利用率や研究成果と設備増設ばかり見ていて、供給側を見ていなかった。

創薬研究者が言う。
「メーカーと特別契約でも?」
「聞いてません」
「政府案件?」
「違います」

玲花も少し考える。確かにレアアース編の頃なら供給不足は真っ先に気にしていた。しかし今回は設備が手に入る前提で議論していた。

その時、苦笑した。
「ああそういうことか」

全員が見る。

「私たちHBMを作ってましたね」

明里が吹き出した。
「忘れてた!」

そう忘れていた。あまりにも自然になっていた。

大学内ではHBM試作し改良の後に量産試験し運用。この流れが当たり前になっていた。だが外から見れば異常だった。

ある准教授が呟く。
「普通は買うものだよな……」
「はい、うちは作ってる」

さらに、別の問題に気付く。

「待ってください、GPUは?」

再び静かになる。HBMは分かる大学内で試作している。しかし、GPUそのものは?
利用中システム構成の資料を開く。するとある特徴が見えてくる。

「汎用GPUの割合が減ってます」
「え?」

AI計算、流体解析、材料探索の一部が専用アクセラレータへ移行している。

その設計図は見覚えがある。行列計算チップ。大学横断プロジェクト。

初期試作。改良版。第二世代。

明里が目をぱちぱちさせる。
「あれまだ使ってたの?」
「むしろ増えてます」

会議室が静かになる。

レアアース。

HBM。

行列計算チップ。

全部。

別々の話だと思っていた。

しかし。

いつの間にか繋がっている。

桜庭が椅子にもたれた。
「なるほど、供給不足を回避していたのか」

他大学はGPUとHBM待っている。この大学は独自のHBMとアクセラレータがある。完全ではないが不足する部分を自分たちで補い始めている。

玲花がため息をつく。
「気付くの遅くない?」

明里が笑う。
「毎日見てると当たり前になるんだよ」

その頃、別の大学では発注済みGPUの納期延期通知が届いていた。企業でも研究所でも同じ問題が起きている。そして共同利用を申し込んできた研究者たちは少しずつ気付き始めていた。この大学はなぜ設備を増やせるのか。なぜ利用枠を拡大できるのか。なぜ増設計画が止まらないのか。

その理由は予算でも政治力でも調達能力でもない。足りない部品の一部を、自分たちで作り始めていたからだった。そして、それに気付いた人々は次に同じことを考え始める。

「……それ、本当に大学の中だけの話で終わるのか?」


◆「なぜ、あそこだけ増えているんだ?」

最初に違和感を覚えたのは、他大学の研究者だった。共同研究の打ち合わせやオンライン会議と雑談の時間。そこで自然に話題になる。

「GPU届きました?」

返事はだいたい同じ。

「まだです」
「来年です」
「納期未定です」

皆が苦笑する。全国どこも同じだった。しかしその中で一校だけ様子がおかしい。

「あの大学はまた増設するらしい」

会議が静かになる。

「何を?」
「計算センター第二棟」
「利用枠拡大」

誰かが首を傾げる。

「設備入るの?」
「そこなんだよ」

違和感はそこだった。予算がある大学や土地がある大学もある。建物なら建てられるが問題は中身だ。全国の大学や企業も困っているし研究所も困っている。なのになぜかあそこだけ増えている。SNSでも話題になり始める。

研究者向けのコミュニティと学会の雑談や技術者フォーラム。

「また設備増えてるらしい」
「どうやって調達してるんだ?」
「国の優先案件?」
「メーカーと特別契約?」

様々な憶測が飛び企業側も気付き始める。あるAI企業の設備調達担当でのGPU納期は十四か月。

資料を閉じて別の資料を見る。

・大学の共同利用募集。
・利用枠増加。
・新ノード追加。
・利用者募集。

担当者は思わず呟く。
「増えてる……」

さらに半導体業界でも話題になる。あるメーカーの技術者が学会帰りの居酒屋で。

「見たか?」
「見た」
「どう思う?」
「分からん」
「HBM不足だぞ」
「知ってる」
「GPU不足だぞ」
「知ってる」
「なのに増えてる」

そして誰かが小さく言った。
「作ってるんじゃないか?」

全員が笑う。あり得ない、普通ならあり得ない。しかし、笑った後に誰も次の言葉を続けなかった。なぜならレアアース騒動の時も最初は皆、あり得ないと思っていたからだ。

一方の霞が関。

省庁内の会議で資料が映し出される。全国計算資源整備状況。大半が遅延で一校だけ右肩上がり。

担当者が言う。
「異常です」

別の担当者。
「成功事例とも言います」
「原因は?」

資料が切り替わる。利用率、研究成果、共同研究、人材育成。そして最後のページ。

調達依存度。他大学と企業は高い。問題の大学は低い。

会議室が静かになる。

「なぜ?」

担当者は少し困った顔をする。調査結果にはこう書かれていた。

『一部計算資源を独自開発』
『独自HBM運用』
『独自アクセラレータ運用』

「独自……?」
「大学ですよね?」
「大学です」

会議室の空気が妙になる。企業や国家プロジェクトなら分かるが、大学だ。

その頃の大学では明里が自動販売機でコーヒーを買っていた。スマートフォンには記事が表示されている。

「なぜあの大学だけが設備不足を回避できているのか」

明里は記事を読んで笑った。
「なんか大騒ぎになってる」

隣で蓮も画面を見る。記事の中では国家支援説。メーカー優遇説。秘密プロジェクト説。様々な推測が並んでいた。

蓮は少し考えてから言った。

「説明してないからですね」
「何を?」
「作ってることを」

明里は数秒黙って吹き出した。
「確かに」

皆が調達の話をしている。しかし、そもそも一部を自分たちで作っている前提を知らない。だから外から見ると謎になる。そしてその謎は研究者だけでなく。企業、大学、政府のあらゆる場所で少しずつ広がり始めていた。誰もまだ確信していない。だが「もしかして」という疑問だけは、確実に増えていた。そして、その疑問はやがて大学へ直接向けられることになる。


◆「研究が止まる」

年明け。全国の大学と企業で、同じ言葉が繰り返されていた。「計算資源が足りない」だが、もう“困っている”では済まなくなっていた。研究計画が止まり始めていた。

ある地方国立大学では

教授会で、AI研究室の教授が机を叩いた。

「予算は通ったんです!」
「建物もできた! 電源も空調も整った!」
「なのにGPUが来ない!」

会議室が静まり返る。別の教授が疲れた声で言う。

「納期、さらに延びました」
「最短で来年度です」
「来年度?」教授は笑った。乾いた笑いだった。
「学生は卒業するぞ」

企業側も同じだった

創薬企業。社内クラスタの増設計画は半年以上止まっている。AI企業。新モデルの学習スケジュールはGPU待ちで崩壊した。製造業のシミュレーション部門では、計算待ちで開発日程がずれていた。

「研究者はいる」
「予算もある」
「でも計算機がない」

ある企業の研究責任者は、社内会議でそう言った。

そして、不満は一つの方向へ向かう

「なぜ、あの大学だけ使えるんだ?」その疑問が、ついに怒りに変わった。

東京・霞が関

合同要望会。参加者は大学、研究機関、企業団体。会場には異様な熱気があった。最初に発言したのは、国立大学協会の代表だった。

「このままでは、地方大学の研究基盤が崩壊します」

続いて、産業界代表。

「国内企業のAI開発が、海外クラウド依存になります」

さらに、創薬関連団体。

「計算待ちで新薬探索が遅れています」

発言は次第に強くなる。

「一部機関だけが設備を確保できる現状は不公平だ」
「国家として調達支援を行うべきだ」
「GPU・HBMを戦略物資として扱うべきではないか」

会場の空気が変わったのは、その後だった

ある大学の学長が、静かに言った。
「我々は設備が欲しいのではありません。研究する権利を求めています」

会場が静まり返る。

省庁側も困っていた

担当者たちは、すでに状況を把握している。世界的なGPU不足。HBM不足。サーバー不足。国内だけの問題ではない。だが、問題の大学だけが例外的に拡張を続けていることも、彼らは知っていた。だからこそ、議論は微妙だった。

「公平性をどうするか」
「成功事例を潰すのか」
「全国へ展開するのか」

その頃、大学では明里がニュース速報を見ていた。
見出しにはこうある。
「大学・企業がAI計算資源不足で政府に緊急要望」

明里は苦笑した。
「大ごとになったね」

玲花は腕を組む。
「当然よ。今まで“研究室の問題”だったものが、“国家の問題”になっただけ」

若い技術者が資料を閉じながら言う。
「でも、要求されてるのは結局GPUですよね」

桜庭が首を振った。
「違う」

全員が見る。
「皆が欲しがっているのは、“待たなくていい研究環境”だ」

そして、別の意味で空気が変わる

国への陳情が報じられた翌日。大学には、さらに多くの問い合わせが届いた。

「共同利用枠を増やせないか」
「運用ノウハウを共有してほしい」
「独自HBMについて説明できないか」
「計算センター構築の相談に乗ってほしい」

もはや、単なる利用申請ではなかった。「どうやって、あれを作ったんですか」という質問が、直接向けられ始めていた。

夜、計算センターの屋上。冷却設備の低い唸りが続いている。明里が空を見上げながら言った。

「なんか、最初はただの弁償だったのにね」

蓮は少し考えてから答える。

「そうですね」

遠くで、建設中の第二棟のクレーンが動いている。

「でも」

蓮は静かに続けた。
「足りなくなるのは、分かっていました」

明里が笑う。
「レアアースの時も言ってたね、それ」

蓮は頷く。
「必要なものは、必ず取り合いになります」

その言葉は、静かだった。だが今の状況を、あまりにも正確に言い表していた。

そして翌週

国は正式に、「AI計算基盤緊急対策会議」の設置を発表した。問題はもう、一大学の成功談では終わらなくなっていた。