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第77話 一台いくらするんだ?

作者:急急如律令


2026/06/13 15:00 公開

計算センター構想が大学内で正式プロジェクトになってから一週間後。

会議室。ホワイトボードには夢が並んでいた。

・学内共用計算センター
・HBMクラスタ
・学外共同利用
・AI研究支援
・創薬支援

どれも立派だった。しかし桜庭がマーカーを手に取る。
「今日は夢を壊す、予算の話だ」

会議室が静かになる。

明里が嫌そうな顔をする。
「急に現実」
「研究は最終的に金額になる」と桜庭は即答した。

まずサーバー台数は現在の試験運用で100枚のHBM。今後の目標は500枚。

「1ノード4枚構成なら125ノード」

ホワイトボードへ数字を書く。
サーバー本体:1台 300万円×125台=3億7500万円

明里が吹き出す。
「もう高い」
「まだ序の口です」

ネットワーク高速通信、InfiniBand級スイッチ、配線、予備系統で約1億円。ストレージ、研究データ保存、バックアップ、共有領域で約5000万円

「冷却設備が本命です」

HBMクラスタは熱い、非常に熱い、サーバーだけでは終わらない。空調、冷却水、熱交換器の試算が1億5000万円

明里が頭を抱える。
「冷やすだけで?」
「データセンターですから」

建物、空き教室では済まない。耐荷重、電源設備、防火設備、監視設備が最低で2億円。

会議室が静かになる。

合計を書く。

サーバー 3.75億
ネットワーク 1.00億
ストレージ 0.50億
冷却設備 1.50億
建物 2.00億
------------------
合計 8.75億円


明里が「思ったより安い?」

全員がそちらを見る。玲花が吹き出した。
「感覚壊れてるわよ」
「いやだって」
「半導体工場とか数兆円って聞くし」

「比較対象がおかしい」と桜庭が笑った。

確かに半導体工場の国家プロジェクトとその規模と比べれば安い。だが大学予算としては十分巨大だった。

さらに桜庭が追加する。
「まだ終わらない」

運用費、電気代、保守、管理者、交換部品。年間約1億円。

今度こそ会議室が静まり返る。

「毎年?」と明里が聞く。

「毎年」
「止めても?」
「ある程度は」
「うわぁ……」

だが創薬研究者が手を挙げる。
「成果で回収できます、新薬候補探索」

AI研究者。
「企業共同研究も増えます」

材料研究者。
「外部資金も取れる」

若い技術者が別の数字を出す。

学外利用枠、共同研究費、国の大型研究費の年間予測は数千万円~数億円。

玲花が資料をめくる。
「赤字ではないのね」
「利用率次第ですが十分可能性があります」

その時、今まで黙っていた蓮が言った。
「冷却費が大きいですね」
「かなり運用費の半分近いです」

蓮は少し考える。

熱。熱層。積層構造。内部熱拡散。そして静かに言う。
「チップ側で減らせます」
「え?」

明里が笑う。
「また始まった」
実際、今のHBM試作機は通常品より発熱が少ない。もし次世代版でさらに下がれば冷却設備、電気代、建物規模の全部に効く。

桜庭が小さく笑った。
「設備費の議論をしていたら半導体設計の話に戻ったな」

会議室に笑いが広がる。

計算センターのコストを決めるのは建物でも空調でも運用でもない。 その中で動く半導体そのものだった。


◆足りないのは計算資源

計算センターの存在が学外へ知られるようになってから、半年が経っていた。当初は共同研究先、近隣大学、国立研究所その程度だった。

大学の設備、大学の研究と誰もがそう考えていた。しかし、評価結果が論文になり学会で発表され共同研究先から成果が出始めると状況が変わった。

その日、会議室には見慣れないスーツ姿が並んでいた。

半導体企業。
材料メーカー。
創薬企業。
AI関連企業。

名刺交換だけで机が埋まる。明里は後ろの席から眺めていた。

「企業説明会?」
「陳情会」と玲花が小声で答える。



会議開始。最初に口を開いたのは大手材料メーカーの研究部長だった。

👉「利用枠の拡大をお願いしたい」

非常に丁寧な言葉。

だが内容は直接的だった。

現在の企業利用枠は全体の10%で利用申請はその五倍。

「足りません」と率直に答えた。

続いて創薬企業も「我々も同様です」

「候補探索の待ち時間が長い」
「順番待ちで研究計画が遅れる」

AI企業。「利用時間を購入できないでしょうか」

会議室が静かになる。
「そう来ましたか」

企業側の理屈は単純だった。

使いたい。成果が出る。もっと使いたい。

ある企業の研究者が言う。
「社内GPUクラスタより効率が良い」

「しかも試作アルゴリズムの評価が速い」

別の企業。
「同じ予算なら、こちらの方が成果が出る」

その言葉に大学側の研究者たちが少し顔を見合わせる。

褒められている。

しかし少し複雑だった。

桜庭が静かに聞く。
「利用枠を増やした場合に大学利用枠は減ります」

企業側は黙る。そこが問題だった。

設備は有限で利用時間も有限。企業へ増やすと大学研究者の時間を削る。

「我々も待っています」と創薬研究者が口を開く。

「学内でも不足しています」と材料研究者も続く。

AI研究者。
「夜間枠まで埋まっています」

企業側も引かない。
「需要があり成果も出ていますし、利用料も払います」

会議室の空気が少し張る。誰も間違っていない。企業側はもっと使いたい。大学側は自分たちも足りない。

そして計算資源は有限。明里は、そのやり取りを聞きながら思った。レアアースの時と似ている。足りなくなると欲しい人が増える。そして分配を巡って揉める。技術が成功した時に起こることだ。

しばらく議論が続いた後。

桜庭が口を開いた。
「皆さん一つ確認したい」

全員が静かになる。

「なぜここを使いたいのですか」

企業側は少し驚く。質問の意味が分からない。

するとAI企業の研究責任者が答えた。
「研究速度です」

創薬企業。
「探索回数です」

材料メーカー。
「試行回数です」

桜庭は頷く。

そして静かに言った。
「なるほど、つまり計算機が欲しいのではなく、研究速度が欲しい」

会議室が静かになる。

その言葉で皆、自分たちの要求を言い換えられたことに気付いた。

桜庭は続ける。
「ならば答えは利用枠ではない」
「え?」
「設備を増やす」

沈黙。

「学内利用を削らない、企業利用も増やす。そのためには」

窓の外を見る。建設中の第二計算棟。
「次を作るしかない」

会議室が静まり返る。

「また規模が大きくなりますね」

玲花は額を押さえる。
「予算担当が倒れるわ」

明里は笑った。
「でも断れないんでしょ」

誰も否定しなかった。企業が求めているのは割引でも優遇でもない。

ただ使いたいだけだ。それだけ需要がある。

会議終了後。企業側の代表者たちは建設中の計算棟を見上げていた。

まだ骨組みだけ。しかし彼らの視線は、その先を見ている。

「足りませんね」と誰かが呟く。

別の企業研究者が笑った。
「完成した瞬間に足りなくなる」

その予感はおそらく全員が共有していた。



「なぜ、ここだけ足りなくなったのか」

秋の終わりに計算センター第一棟は完成し、第二棟の建設計画が動き始めていた。大学内では、もはや見慣れた光景になっていた。研究者が予約状況を確認し利用時間を調整する。空き枠が出ると数分で埋まる。そして企業からの利用申請が積み上がる。

最初は大学内の話だった。だが、いつの間にかそうではなくなっていた。

ある日、学長室から桜庭のもとへ連絡が入る。

「来週、聞き取りがあります」
「どちらからですか?」
「国です」

会議室。普段より少し広い部屋。そこに並んでいたのは大学関係者だけではなかった。

・文部科学省。
・経済産業省。
・情報政策関連部局。

数名の担当者が資料を開いている。空気は穏やかだった。しかし誰も雑談をしていない。

明里は後ろの席に座っていた。
「思ったより本格的だね」

玲花が小声で答える。
「調査よ」
「監査じゃなくて?」
「まだね」

会議が始まる。最初の質問は意外だった。
「技術についてではありません」

担当者が言う。
「まず運用について伺いたい」

桜庭が少し目を細める。普通ならHBM、積層技術、新構造を聞くが違った。

担当者が資料をめくる。

利用率推移。利用者数。研究成果。
「なぜ利用が増えたのですか」

会議室が少し静かになる。

「速いからではありません」と桜庭は答える。
担当者が顔を上げる。
「研究回数が増えるからです」

その説明から始まった。

創薬研究は候補探索数が増えた。
材料研究は捨てていた条件まで試せるようになった。
天文学はデータを削らずに解析できるようになった。

担当者たちは黙ってメモを取る。やがてある質問が出る。
「利用率が高い理由は分かりました。では、なぜ企業まで来るのですか」
「そこですか」

スクリーンを切り替える。

企業利用申請数は右肩上がり。

「企業側も同じです。試作回数、探索回数、学習回数、研究速度を求めています」

担当者たちが顔を見合わせる。

「設備が欲しいのではない?」
「はい」
「研究速度です」

部屋が静かになる。その言葉は思った以上に重かった。

担当者の一人が呟く。
「つまり計算機不足ではなく研究能力不足だった?」

桜庭は少し考えて頷く。
「計算資源が制約になっていました」

議論はさらに続く。電力。冷却。運用。予算。

すると経産省側の担当者が質問した。
「増設した場合利用者は埋まりますか」

会議室の研究者たちが一斉に苦笑した。

「間違いなくすぐに確実に」と回答が揃う。

担当者も思わず笑う。

だがその笑いの後、誰もが真顔に戻る。なぜなら需要が一時的ではないという意味だからだ。

会議終盤。

担当者が最後に聞いた。
「皆さんは、この設備をどう位置付けていますか」

研究設備か共同利用施設か産学連携基盤か。答えは人によって違うと思われた。

しかし意外にもほぼ同じ言葉が返ってきた。

創薬研究者。
「研究の加速装置」

材料研究者。
「試行回数の増幅器」

AI研究者。
「発見の速度を上げる設備」

桜庭も最後に言った。
「知的生産インフラです」

担当者たちはかなり長い時間メモを取る。

会議終了後。省庁側の人々は大学構内を歩いていた。窓越しに見える計算センター。出入りする研究者たち。予約状況を確認する学生。

一人の担当者が呟く。
「思っていた話と違ったな。半導体技術の話ではなかった」

隣の担当者が頷く。
「研究基盤の話だった」

さらに少し歩いてから静かに続ける。
「これ、大学一つの話じゃないかもしれない」

誰も返事をしなかった。だがその場にいた全員が、同じことを考えていた。

もしこの現象が他大学でも起きるなら。もし研究速度そのものが変わるなら次に議論される場所は、大学の会議室ではない霞が関になる。そんな予感が、確かに生まれ始めていた。


◆作ろうとして気づく

国の聞き取りから半年。大学の計算センターは相変わらず埋まっていた。

・利用率は高止まり。
・企業利用は増加。
・共同研究は増加。
・論文数は増加。

誰が見ても成功だった。

そして当然のように真似する動きが始まった。

ある国立大学。「うちも作ろう」
別の大学。「AI研究基盤を整備する」
さらに別の大学。「共同利用計算センター構想」

研究設備ではなく研究速度の話として学会でも話題になった。

当初は皆が簡単に考えていた。

建物を建てる。サーバーを買う。GPUを並べる。終わり。

しかし最初の壁が現れる。

「納期が出ません」

会議室が静まり返る。

「何の?」
「GPUです」

さらに別の大学。
「サーバーもです」

別の担当者。
「高速ネットワーク機器も」

国内の複数大学で同じ話が出始める。

発注。見積もり。納期確認。一年以上。

「一年?」
「早くてです」

担当者たちは最初、聞き間違いだと思ったが違った。世界中でAI向け設備需要が爆発していた。企業。研究所。クラウド事業者。国家プロジェクト。皆が同じものを欲しがっている。

GPU。
HBM。
高速ネットワーク。

その結果が足りない。

ある大学では予算が通った。建物も完成した。電源設備も整った。冷却設備も導入された。しかしサーバーが来ない。

「空のデータセンターです」

担当者が力なく笑う。ラックだけ並びケーブルだけあり利用者だけ待っている。

別の大学はようやくGPUを確保した。今度はHBM不足。さらに高速スイッチ不足。そして電源部品不足。

明里はニュース記事を見ながら言った。
「建物はあるのに中身がない」

玲花が頷く。
「典型的な供給不足ね」

大学内でも話題になる。

「他大学が想像以上に困ってる」

若い技術者が資料を開く。

全国計画。建設予定。調達状況。赤色だらけだった。

未確保。未納品。納期未定。

「予算じゃないんです設備がない。買いたくても買えない」

会議室が静かになる。レアアースの時と同じだった。需要が増えると供給が追いつかなくなり価格が上がり争奪戦になる。違うのは対象だけ。

今度はAI計算設備。

その時若い技術者が別の資料を出した。

問い合わせ一覧;大学。研究所。企業。

内容はほぼ同じ。

「利用できませんか」
「共同利用枠はありますか」
「空き時間を借りられませんか」

明里が苦笑する。

「増えてる、急増です」

今までは近隣だけだった。今は全国。

桜庭は資料を眺めながら言った。
「面白いな」

誰もが見る。
「皆が設備を作ろうとしている。だが、本当に不足しているのは設備なのか」

GPU、HBM、サーバーは確かに不足しているが、それだけだろうか。桜庭は窓の外を見る。計算センター、利用者、研究者。そして静かに続けた。

「研究を支える仕組みも足りない」

設備は買える。いつかは届く。しかし。運用。利用ルール。共同利用制度。

研究支援体制。それらは買えない。その言葉に会議室の空気が少し変わる。他大学は設備を作ろうとしている。だが、この大学が手に入れたものは単なる計算機ではなかった。研究者が集まり。利用が集中し成果が生まれまた利用者が増えるという循環だった。

そして全国で設備不足が騒がれる中で計算センターには今日も問い合わせが届いていた。

「共同利用の相談をしたい」
「空き枠を利用できないか」
「運用方法を教えてほしい」

気づけば大学は計算資源だけでなく。運用ノウハウまで求められる立場になっていた。それは誰も予想していなかった、新しい需要だった。