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第75話 HBM試作チップ

作者:急急如律令


2026/05/29 15:00 公開

試作ラインの空気は、妙に明るかった。理由は単純。

「一回、普通にやってみましょう」

若い技術者のその一言で、全員が少し楽観的になっていた。

通常HBM方式。

つまり。
・単層DRAMを作る
・TSVを形成
・積層
・接合

既存技術の延長。

「いきなり変なことする前にまず基準を作る」と玲花が言う。

桜庭も頷く。「正しい順番だ」

試作開始。

単層DRAMは、すでに安定している。

問題は積層。ウェーハが慎重に重ねられていく。位置合わせ。圧着。接続確認。作業そのものは、従来工程に近かった。

明里がガラス越しに眺めながら言う。
「なんか普通だね」

若い技術者が苦笑する。
「普通が一番難しいんですよ」

積層完了。試作HBM一号。見た目は綺麗だった。むしろ綺麗すぎた。

「評価入ります」

ボード接続。電源投入。最初の読み出し。

「……動いた」

空気が少し緩む。帯域測定。数値は悪くない。

「かなり出てます。通常HBMに近い」

明里が笑う。
「いけるじゃん」

だが。連続アクセス開始から数秒後。

「……あれ?」

波形が揺れる。エラー。再送。さらにエラー。

「止めろ」と桜庭の声。

電源遮断。静寂。急いでログを見る。

「TSV周辺です。接続不安定? いや……」

画面を拡大する。熱分布。TSV周辺だけ異常に熱い。玲花が眉をひそめる。

「集中してる。配線密度が高すぎる。局所発熱で抵抗変動が出てる」

明里が首を傾げる。
「でもHBMって元々そういうものじゃないの?」
「そうです」

若い技術者は苦い顔で言う。
「だから世界中が苦しんでる」

沈黙。さらに解析。断面スキャン。そして。

「……ズレてる」

空気が止まる。TSV位置。わずか、本当にわずか。だが積層全体では無視できない。

「熱で動いたのか」
「応力ですね」
「積層後に歪んでる」

桜庭が腕を組む。
「“積むだけ”では限界か」

若い技術者が椅子に座り込む。

「単層では問題なかったんです。でも積むと全部の誤差が重なる」

明里が静かに言う。
「立体になった瞬間に別物なんだ」

誰も否定しない。さらに悪いことが分かる。

「……歩留まり低すぎます」

試作個体。まともに動いたのは、ごく一部。しかも。

「時間経過で悪化してる」

TSV周辺の熱応力で、徐々に不安定化。玲花が小さく息を吐く。
「工場が泣くやつね」
「量産だったら大事故です」

だが蓮だけは、断面スキャンを見続けていた。層。接合。結晶。その境界。

そして静かに言う。
「繋いでいるから、歪みます」

全員が見る。

「……え?」

明里が聞き返す。

蓮は断面図を指した。
「層が別々です。だから、熱膨張が揃わない」

若い技術者が、はっとする。

「結晶が連続してない……」
「はい」

蓮は静かに続ける。
「“積んでいる”のが問題です」

部屋が静まり返る。普通HBMでは当たり前だった発想。“作ったものを重ねる”。

だが、蓮はそこを否定していた。

桜庭が、ゆっくり目を細める。

「……では、どうする」

蓮は少し考えてから答えた。
「下から揃えます」
「揃える?」

蓮は断面図に線を引く。別々だった結晶層を一本の流れのように。

「連続させます」

明里が小さく笑った。
「また始まった」

若い技術者は、むしろ真顔だった。

「……でも、それなら」

熱応力。位置ズレ。接続抵抗。全部、説明が繋がる。

玲花が呟く。
「積層じゃなくて、“成長”なのね」

誰も、すぐには否定できなかった。その日。通常HBM試作は失敗扱いになった。だが同時に。 既存HBMとは別方向へ進む理由が、はっきりした。




「……繋がってる」

若い技術者の声は、半分呆然としていた。断面スキャン画像。そこに映っていたのは、“積層”ではなかった。結晶が上下で、連続している。通常HBMで見えていた境界が、ほとんど存在しない。

・TSV周辺のズレも極小。
・接続抵抗も異常に低い。

明里がモニターに顔を近づける。
「ほんとに一体化してる……」

玲花が小さく息を吐く。
「接合してるっていうより、“育ってる”わね」

若い技術者が震える声で言う。
「位置ズレ、ほぼゼロです」
「ありえない」

誰かが呟く。

通常HBMで最大の難所だった部分。

・TSV位置ズレ
・接合誤差
・層間抵抗

それが、ほぼ消えていた。評価開始。帯域測定。

数値が表示された瞬間。

「……は?」

空気が止まる。通常HBMを、大きく超えている。しかも。

「消費電力が低い」
「同帯域で?」
「はい」

桜庭が静かに言う。
「配線ロスが減ってる」
「距離が短いだけじゃない」

若い技術者がログを開く。
「接続そのものが綺麗すぎる」

つまり、 “積層のペナルティ”が消え始めていた。

明里が笑う。
「これ、かなりヤバくない?」

玲花が即答する。
「かなりじゃ済まない」

連続アクセス開始。AI学習向け負荷。大量転送。高帯域維持。最初は完璧だった。速度は落ちない。エラーも少ない。

「いける……!」

若い技術者が声を上げる。だが、数十秒後。

「温度上昇!」

空気が変わる。熱分布が急激に赤く染まる。中心部。積層中央。

「まずい、逃げてない!」
「冷却追いつきません!」

桜庭が立ち上がる。
「停止準備」

だが、まだ止めない。若い技術者が画面を睨む。

「どこだ、どこで詰まってる」

明里が熱マップを見る。
「……真ん中?」
「はい」

積層中央は上下を発熱層に挟まれている。つまり、 熱の逃げ道がない。

「表面は冷やせる、でも内部が詰まる」

玲花が腕を組む。
「三次元化の代償ね」

温度さらに上昇。そしてエラー。帯域低下。

「性能落ち始めました!」

停止。静寂。誰もすぐには喋らなかった。間違いなく、積層そのものは成功していた。だが、 今度は“熱”が限界になった。

若い技術者が、ゆっくり椅子に座る。
「……ここまで来ると今度は物理ですね」

桜庭が頷く。
「半導体は最後、全部熱になる」

明里がモニターを見ながら言う。
「でも、普通のHBMより悪化速くない?」

若い技術者がログを出す。

「帯域が出すぎてます、流れすぎてる」
「え?」

通常HBMでは、接続抵抗やロスが“自然な制限”になっていた。だが、今回の積層は “綺麗につながりすぎた”大量のデータが、一気に流れる。結果、発熱密度が跳ね上がる。


「性能が高すぎて、自分で焼けるのね」と玲花が呟く。

「はい」

明里が苦笑する。
「最悪のハイエンド機器だ」

だが、蓮は熱マップを見続けていた。

積層中央の赤く染まった部分。そして静かに言う。
「流せばいいです」

全員が見る。

「熱を?」

蓮は頷く。
「熱の通り道を作ります」

若い技術者が、ゆっくり目を見開く。
「……内部に?」
「はい」

通常半導体では難しい。だが、結晶制御できるなら。 熱専用の層を、内部に形成できる。

明里が笑う。
「また変な方向行くね」

玲花は逆に真顔だった。
「でも、それしかない」

桜庭が静かにホワイトボードを見る。積層構造。熱分布。内部発熱。

そして、小さく呟いた。
「……半導体じゃなくなってきたな」

誰も、否定できなかった。もうこれは“配線を積む”技術ではない。 熱と情報の流れを、三次元で設計する技術だった。


◆熱の通り道

ホワイトボードいっぱいに、積層断面図が描かれていた。通常層。配線層。メモリ層。その間に、新しく追加されたもの。

熱拡散層

明里が図を見ながら言う。
「これ、本当に半導体?」

若い技術者が苦笑する。
「もう自信なくなってきました」

通常HBMでは存在しない構造。熱を逃がすためだけの内部層。しかも、結晶形成時点で埋め込む。

玲花が腕を組む。
「普通は後から冷やすのよ」
「今回は違います」

若い技術者が断面図を指す。
「内部から流します」

熱は中心で詰まる。なら中心から逃がせばいい。理屈は単純だった。だが問題は、どう作るか。

「金属を入れるとノイズが増える」
「絶縁性を維持しないと」
「でも熱伝導率は必要」

議論が飛び交う。
明里がぽつりと言う。
「都合のいい材料ないの?」

桜庭が笑う。
「皆それを探してる」

結局、今回は。

・熱伝導重視の中間層
・微細熱拡散経路
・局所放熱柱

を試験的に埋め込むことになった。試作開始。今回は、積層工程そのものが違う。単なるメモリ層ではない。“熱の流れ”まで設計対象。蓮は静かにウェーハへ手をかざす。結晶形成。だが途中で、一度止まる。

「……難しい?」

明里が聞く。蓮は少し考えてから答えた。
「熱の層は、結晶が乱れます」
「普通の半導体層と性質が違うので」
「境界が崩れやすい」

若い技術者が真顔になる。
「熱伝導と電子特性が喧嘩してる……」

玲花が小さく笑う。
「欲張るからよ」

だが蓮は形成を続ける。

・通常層。
・熱層。
・通常層。

まるで、異なる鉱物を積み重ねるように形成完了。試作チップは、以前より少し厚い。断面スキャン。熱拡散層が、内部に走っている。

「……本当に入ってる」

若い技術者の声に、少し緊張が混じる。
「評価します」

電源投入。起動。正常。帯域測定。高速。

ここまでは前回と同じ。問題は、その先。AI学習負荷。大量アクセス。長時間転送。熱マップ表示。

全員が画面を見る。温度上昇。

「……広がってる?」

以前は中央一点が真っ赤になっていた。今回は違う。熱が内部全体へ分散している。若い技術者が、思わず立ち上がる。

「逃げてる……!」

温度上昇速度。大幅低下。性能低下小。

「連続実行いけます!」

明里が笑う。
「うお、本当に効いてる」

さらに実行継続。十秒。二十秒。一分。まだ落ちない。

「温度安定領域入りました」

桜庭が、静かにモニターを見る。
「……成立したか」

若い技術者は、まだログを見ている。

「ただ、じゃありません」

空気が少し締まる。熱マップの一部。局所的な揺らぎ。

「熱層近辺で、微妙に信号品質が落ちてる」

玲花が頷く。
「材料干渉ね」
「はい」

熱を流せば。今度は電気特性へ影響する。半導体らしい問題だった。だが前回と違う。

今回は “止まらなかった”。それだけで、空気が変わっていた。明里が椅子に座り直しながら言う。
「で、次は?」

若い技術者は苦笑する。
「最適化地獄です」

「熱、信号、積層数、消費電力」

指を折る。
「全部バランスです」

桜庭が小さく笑う。
「やっと工業製品になってきた」

蓮は静かに断面図を見ていた。熱層。配線。記憶層。それらが、立体的に絡み合っている。もはや“回路”ではない。人工的な結晶構造体。そんな感覚が、そこにはあった。

◆届いた“異物”

大学外共同研究棟。普段なら静かな評価室が、その日は妙にざわついていた。

「来たらしい」
「本当に持ってきたのか」
「試作品だろ?」

研究者たちの視線が、一つのケースへ集まる。中に入っているのは、外見だけなら普通のHBM試作チップ。だが、その中身を知っている人間ほど、無言になっていた。

若い技術者がケースを開く。

「試作第三世代です」
「第三?」
「途中で何回か燃えました」

小さな笑い。だが半分は本当だった。チップが評価ボードへ載せられる。

周囲には。

・AIアクセラレータ研究者
・メモリ研究者
・実装研究者
・システム研究者

大学内でも、かなり上位の人間が揃っていた。

明里が小声で言う。
「なんか空気重いね」

玲花が即答する。
「“本物かどうか”見に来てるのよ」

電源投入。起動。正常。帯域測定開始。最初は、誰も喋らなかった。ログだけを見る。

そして。

「……速い」

誰かが呟く。

「待って」
「再確認」

再測定結果は変わらず。通常HBM比較。帯域。消費電力。レイテンシ。全部が表示される。

そして空気が変わる。

「なんだこれ」
「帯域おかしいだろ」
「消費電力低すぎないか?」
「熱は?」

熱マップ表示。積層中央。以前なら真っ赤になっていた場所。今回は熱が全体へ流れている。

「内部熱拡散……?」
「いや待て、こんな構造見たことないぞ」

断面スキャンが表示される。そこで、部屋が静まり返った。結晶層。熱層。配線。それらが、境界を曖昧にしながら連続している。

「……接合面がない?」
「いや、ある」
「でも少なすぎる」

メモリ研究者が画面へ近づく。
「これ、本当に積層してるのか?」

若い技術者は少し迷ってから答えた。
「“育ててます”」
「は?」

明里が小さく吹き出す。
「その反応になるよね」

研究者たちは断面図を見続ける。普通のHBMとは、根本的に違う。“積んだ”感じがない。むしろ一つの結晶体が、層状構造を持っている。

AI研究者が、小さく呟く。
「……これ、メモリっていうより材料だな」

桜庭が静かに頷く。
「正しい認識だ」

評価は続く。AI学習負荷。大規模モデル。大量転送。通常HBMでは、帯域低下が始まる領域。

だが。

「……落ちない」
「温度上昇、緩いです」
「帯域維持してる」

システム研究者が、半分呆然とした声で言う。
「待て、これGPU側が追いついてない」

空気が止まる。今までHBM側がボトルネックだった。だが今回は違う供給速度が高すぎる。

「倉庫が強すぎる」と明里が笑う。

玲花は真顔だった。
「笑えないわよ、これ」

さらに評価。長時間運転。温度。安定。エラー率低。歩留まり予測。

ここで空気が少し変わる。
「……量産は無理だな」

実装研究者が即断する。
「この形成方法は工場ラインに載せられない」

若い技術者が頷く。
「現状は研究用です」

AI研究者が画面を見たまま言う。
「だが、研究用途なら革命的だ」

「試作速度が変わる」
「学習効率が変わる」
「メモリ制約が緩む」

誰かが、小さく言った。
「……開発速度が変わる」

その瞬間。部屋の空気が、少しだけ重くなる。全員が理解してしまった。これは単なる高性能メモリではない。 研究競争そのものを加速させる装置だ。

評価終了後。

研究者たちは、まだ断面スキャンを見ていた。

「信じられん……」
「これ、本当に大学内試作か?」
「いや、そもそも分類できない」

若い技術者は疲れた顔で笑う。
「こっちもそう思ってます」

帰り際。AI研究者が桜庭へ言った。
「これ、外に出したら争奪戦になりますよ」

桜庭は静かに答える。
「だからまだ大学の中なんだ」

誰も、反論しなかった。