2025/12/02 15:00 公開
都心、霞ヶ関の巨大ビル群。
その一角にある「日本産業連盟会館」の大会議室に、俺たちは呼び出されていた。
「な、なんか……想像以上に厳つい建物だね……」
明里が俺の腕をぎゅっと掴む。
「俺も一緒に震えてるから……安心してくれ……」
玄関前には黒塗りの車が並び、スーツ姿の人々が慌ただしく走り回っている。どう見ても大学生が来る場所じゃない。
鳥居准教授だけはなぜか妙に堂々としていた。
「アメリカの国防高分子会議に比べれば、可愛いもんだよ」
「比較対象が狂ってるんですけど!?」
◆
案内された会議室には、すでに30人近いスーツの人物が着席していた。
触媒メーカー、半導体メーカー、医療機器メーカー、自動車メーカー……
日本を代表する企業ばかりだ。
その視線が、一斉に俺たちに向いた。
「「……!!!」」
明里と俺は同時に固まった。
産業連盟の議長が立ち上がる。
「本日はお忙しい中、わざわざお越しいただきありがとうございます。篠崎蓮君、桐原明里さん、そして鳥居准教授」
俺たちは頭を下げた。
「まずは……プラチナの安定供給を実現してくださったこと、産業界を代表して深く感謝申し上げる」
会議室全体から拍手が起きる。
「ちょ、ちょっと待って!? オレそんな大層なことをしたわけじゃ……」
否定しようとすると、横で明里に袖を引っ張られた。
「蓮、こんな時は素直に受け取ろうよ。せっかく褒めてもらってるんだから」
「うっ……」
◆
議長が資料をめくる。
「さて、本題に入ります。今回の緊急会議の目的は——
“今後の供給計画と、各業界の要望のすり合わせ” です」
そう言った瞬間、会議室の空気が変わった。
「自動車業界としては触媒用プラチナの年間供給量を——」
「医療業界では治療用白金化合物が逼迫しており——」
「燃料電池開発ラインを再起動したいのですが——」
「半導体では微量高純度プラチナが——」
次々と手が上がり、要望が飛ぶ。
俺は頭を抱えた。
「ちょ、ちょっと待ってください!全部は絶対無理です!」
会議室が静まる。
鳥居准教授が口を開いた。
「篠崎の能力には上限がある。機械化と言っても、生産量には限界があるんだ」
議長も深く頷いた。
「承知しています。そのうえで、優先順位を決めたいのです」
「優先順位……ですか」
「はい。たとえば、国家インフラ関連の産業、医療関連、次いで輸出産業……というように」
確かに、産業界全体の要望を満たすのは無理だ。
ならば、国としての優先を決めるしかない。
◆
議長が少し声を落として言った。
「……そして、もうひとつ重大な案件があります」
会議室に緊張が走る。
「海外からの“引き抜き”が、すでに始まっています」
「「えっ!?」」
俺と明里が同時に声を上げた。
「篠崎蓮君、あなたを国外企業が正式にスカウトしています。複数の国からです」
「は、はぁぁ!? なにそれ!?」
俺は椅子から転げ落ちそうになった。
「もちろん日本政府は全力で守ります。しかし、あなたの能力が世界の白金族市場の均衡を崩しているのも事実。海外は黙っていません」
鳥居准教授が苦笑した。
「ほら、言っただろ?“覚悟しろ”って」
「いや、そんなスケールの話だとは思ってなかったんですけど!?」
明里が俺の手をぎゅっと握る。
「蓮は……絶対、国内で守るから。大学だって協力するから」
俺は深呼吸をして頷いた。
「……俺は、日本で研究を続けます。ここで皆さんの役に立ちたい」
会議室の空気が明るくなる。
「そう言っていただけると心強い。では、今後の計画を……」
◆
会議後、出口へ向かう途中。
企業の人々が次々と俺たちに名刺を差し出してきた。
「ぜひ弊社の工場見学へ!」
「共同研究を!」
「スポンサー契約も検討できます!」
明里が小声で耳元に囁いた。
「蓮、これ……全部対応するの無理だよね?」
「無理どころじゃないな……」
「じゃあ……私がスケジュール管理してあげる!」
「頼もしすぎる……!」
鳥居准教授が笑う。
「大学と産業界と政府を相手にするんだ。覚悟しておきな」
「もう覚悟しかないです……!」
こうして——
産業界を巻き込んだ“プラチナ新時代”の歯車が、
静かに回り始めていくのだった。
◆
産業連盟との緊急会議から三日後。
キャンパスは――地味に、とんでもないことになっていた。
「……なんだこの人の数」
朝、研究棟に向かうと、廊下に見知らぬ教員やスーツ姿の人たちがうろうろしている。
さらに、近くの研究室の前には、明らかに“待ち伏せ”風の集団までいる。
「おい、あれが例の“プラチナ生成の学生”じゃないか?」
「ほんとに? 今日来るって情報が……」
「声、かける?」「いや、教授に怒られる……」
全部聞こえてんだけど!
「蓮、人気者だね……?」
横の明里が苦笑しながらひそひそ声で言う。
「いや、これは人気じゃなくて……狩られてる感じだろ!」
そこへ背後から声が飛んだ。
「篠崎君っ! ぜひ、我が研究室にも話を――」
「きゃっ!? な、なんでいきなり!?」
突然、白衣の男性が明里を押しのけるように迫ってきた瞬間、
「こらぁぁぁぁああああ!!」
雷より怖い声が廊下に響き渡った。
◆
現れたのは桜庭教授。
両手に書類を抱えたまま、鬼のような形相で怒鳴っていた。
「うちの学生を捕獲しようとするんじゃない!!」
「か、捕獲って言いましたよね今!?」
教授は俺たちを背中で庇うように立つ。
「篠崎も桐原も非常に繊細な研究をしてる! 研究室の許可もなく接触したら、その時点でルール違反だぞ!」
叱責された教員たちは一斉に頭を下げた。
「も、申し訳ありません……!」
「つい、材料が欲しくて……」
「“つい”で学生に突撃するな!!」
教授の怒声が再び研究棟に響く。
◆
教授に保護されながら研究室へ向かう途中、俺は見てしまった。
廊下の掲示板に、でかでかと貼られた紙。
【臨時共同研究員募集】
・プラチナ関連研究
・白金族触媒の新規開発
詳細は研究室まで!
さらに別の貼り紙。
【プラチナ新素材プロジェクト始動】
篠崎君の協力を歓迎します!
「いや、これ完全に俺を釣ろうとしてるよね!?」
明里がため息をつく。
「ここまで露骨だとは……」
鳥居准教授が後ろから肩を叩いた。
「大学ってのはね、金とプラチナの匂いを嗅ぎつけた瞬間、理性が飛ぶのさ」
「怖っ!? そんなブラックな世界だったんですか!?」
「アメリカなんてもっとすごいぞ? 会議室の外でスカウト同士が殴り合うことだって――」
「やめて、想像したくない!!」
◆
研究室に着くと、さらに厄介な光景が広がっていた。
教授同士が研究室の前で押し問答している。
「うちの研究分野のほうが優先度は高いはずだ!」
「何を言うか! 医療用触媒の研究こそ国家重要案件だ!」
「篠崎君の時間を月に何時間確保できるか、それを話し合おう!」
「いや、うちがすでに予約している!」
俺は小声でつぶやいた。
「なんか……俺のスケジュールが、家電量販店の福袋みたいに争奪戦になってない?」
「蓮、大人気……だね?」
明里が引きつった笑顔で言う。
「いや、ちっとも嬉しくない!」
桜庭教授が割って入った。
「全員落ち着け。篠崎の貢献量には限界がある。無茶な要求は受け付けない!」
「しかし、だな……!」
「我々も研究が……!」
教授が壁を指差して吠える。
「だったらまずは予約表に名前を書け!! ルールを守れ!!」
見ると、研究室のドアに“篠崎使用スケジュール表”が貼られており、すでにぎっしり書き込まれていた。
「えっ……俺の空き時間、ほぼゼロなんですけど!?」
◆
さらに追い打ち。
「篠崎先輩! プラチナってどうやって生成してるんですか!? 教えてください!」
「桐原先輩! 共同研究、手伝わせてください!」
「触ると生成できるって噂、本当ですか!?」
「都市伝説だよ絶対……でも触らせてもらえません?」
「なんで俺の能力が“触ると発動する”みたいな怪談になってるんだよ!!」
明里がじとっと視線を向けてきた。
「蓮……私以外の人に触られてないよね?」
「触られてないよ!! 俺は忠誠を誓うレベルで触られてない!!」
鳥居准教授がにやにやしている。
「いやぁ、日本の大学もまだまだ元気で安心したよ。こういう混乱、私は嫌いじゃない」
「准教授は絶対楽しんでますよね!?」
◆
会議室に移動したあと、桜庭教授がため息をついた。
「……想像より早く、大学全体が動き出したな」
「やっぱり、まずいんですか?」
「まずい。だが同時に、これだけの“熱量”は大学としても滅多に得られないチャンスだ」
教授が俺を見た。
「篠崎、おまえがこの大学の中心になっている。
だからこそ、我々も全力で守る。
だが——気を抜くな」
俺は強く頷いた。
「はい」
明里も横で小さく笑う。
「蓮なら、大丈夫。私もいるし」
「……ありがとう」
大学全体が、プラチナと白金族を巡って騒然とし始める。
その中心にいるのは、紛れもなく俺たちだった。
◆
篠崎蓮が研究棟に戻ると、静まり返った廊下に、張り詰めた空気が漂っていた。
教授会の反対派が、政府との契約内容を巡って最後の抵抗を試みている──そんな噂が流れていた。
ドアを開けると、中では反対派の中心人物である木島教授が、数名の若手教員を集めて声を荒げていた。
「いいか? 今回の契約は、大学を実験場にする危険がある。研究の自由が奪われるんだぞ!」
その言葉に若手たちはうつむき、賛同とも反発ともつかぬ表情を浮かべている。
蓮は静かに歩み寄り、木島に向かって頭を下げた。
「木島先生。お話しできませんか」
「君に話すことなどない。……いや、あるな。なぜこんな危険な技術を外に出した? 君の判断が、大学を破壊するんだ」
木島の声は怒気に満ちている。しかし蓮は揺らがない。
「先生。僕たちの研究は、人類全体の資源不足を救える。大学の保守的な枠内に閉じ込めておく方が、むしろ学問の死です」
「理想論だ。政府が一度介入すれば、技術は軍事利用される。過去に何度もあったことだろう!」
彼の背後で若手研究員が不安げに顔を見合わせる。
蓮は深く息を吸い、机の上に一枚の紙を置いた。
それは政府の“研究者保護条項”を含む正式契約書案だった。
「軍事転用を禁止し、研究者の独立性を担保する条文です。これは政府側が、自分たちから追加を提案してきた部分です」
「……政府が?」
「ええ。あの技術が危険だと知っているからこそ、透明性を求めている。
責任ある扱いを望んでいるのは、僕たちだけではありません」
若手教員の顔色が変わった。
「木島先生……本当に軍事利用の心配がないのなら……」
「研究の自由も確保されるなら……」
彼らは木島の背後から、そっと距離を取った。
木島の目にかすかな焦りが浮かぶ。
「……君たちまで、そっちにつくというのか?」
若手の一人が、おそるおそる言葉を返す。
「先生の危惧は理解しています。でも、篠崎の資料を見る限り、この技術は社会のために使うべきです。大学が“拒否した”となれば、世界中から批判が来ます」
「今は、技術を閉じ込めるよりも、正しい管理下で開放すべきです」
木島は信じられないという顔で蓮を見た。
「……君はずいぶん、味方を増やしたようだな」
「いいえ。味方ではありません。ただ情報を正しく伝えただけです。先生にも同じ資料をお渡しします」
蓮は追加資料を手渡す。
木島の手が震え、紙がかすかに揺れた。
「……私は、大学を守りたかっただけだ」
「その気持ちは皆同じです。だからこそ、正しい形で一歩を踏み出す必要があるんです」
しばしの沈黙ののち、木島は重く息を吐いた。
「……教授会の反対は取り下げよう。だが、条件がある」
「なんでも言ってください」
「この技術がもし、危険に向かって進む兆候があれば──
真っ先に大学へ報告し、私に相談することだ」
蓮は微笑んだ。
「もちろんです。“反対派”ではなく、“監督役”として協力していただけますか」
木島は少し照れくさそうに視線をそらした。
「……好きに呼べ」
こうして、教授会内の反対派は瓦解した。
しかしこれは終わりではなく、蓮にとっては“ようやく全員で同じスタートラインに立った”というだけだった。
◆政府内でのプラチナ価格決定議論
霞ヶ関・経済産業省の特別会議室。
重厚なドアの向こうでは、各省庁の幹部たちが、前例のない議題を前に緊張した面持ちで席に着いていた。
議題は一つ。
「量産される“篠崎プラチナ”の価格をどう決めるか」。
長机の中央に座る経産省産業政策局長・上原が口火を切った。
「……これほど厄介な会議は久しぶりだ。まず前提として、今回のプラチナは“人工的に安定生産され得る”という意味で、既存の貴金属市場とは根本的に性質が違う。従来の市場価格を単純に参照するのは無理がある」
財務省主計局の田村は、書類を指で叩きながら皮肉気に笑う。
「無理がある、じゃなくて“無理にする気があるのかどうか”でしょう。価格を間違えれば予算にも税収にも大きく響く。こちらとしては高めに設定していただきたい」
「そう簡単にいかないのですよ」
と外務省の国際経済担当・浅井が冷静に割り込む。
「日本が独占的にプラチナを供給するという構図は、国際資源市場の秩序を乱す。高すぎれば“資源国家として振る舞っている”と批判され、各国の対日感情が悪化します」
防衛省の分析官・鳴海は腕を組みむと短く言う。
「逆に安くしすぎれば、軍需産業に過剰に流れ込む危険性があります。供給が増えれば兵器の高度化も一気に進む。国際的な軍拡競争につながりかねません」
会議室に重苦しい沈黙が漂う。
誰もが理解していた。
──これは、“価格”を決める議論ではなく、日本の未来の立ち位置を決める議論だ。
◆
そこへ、科学技術政策担当の官僚・黒川が手を挙げた。
「篠崎氏から提供された資料によれば、生産コストは現状では市場価格の約六分の一。とはいえ、装置の保守費用や稼働率の問題を考えると、“無制限に安く大量供給できる”というイメージは誤解です」
田村が眉をひそめる。
「コストが安いなら、安く売ればいいではないかね」
「安さだけで判断すべきではありません」
黒川はきっぱりと言い返す。
「篠崎氏自身も懸念していました。価格を下げすぎると、既存のプラチナ採掘産業が壊滅し、途上国の経済が崩れます。倫理的にも国際関係的にも深刻な問題です」
浅井がうなずく。
「そう。彼らの経済が崩れれば情勢不安が広がり、結局は日本の外交コストが増える」
◆
議論が平行線をたどるなか、内閣府の特命担当大臣・宇都宮が静かに口を開いた。
「……結論を急ぐ前に、一つ確認しておきたい。私たちが守るべきものは何か?」
誰も返さない。
宇都宮は続けた。
「私たちが守るべきは、市場の秩序か、税収か、国益か、それとも世界との信頼か。
篠崎プラチナは、もう“物質”ではない。これは“国家間の力学を動かす装置”なんだ」
上原が深くうなずいた。
「……では、次の案を提案します」
会議室の視線が一斉に向く。
◆
上原はホワイトボードに三つの案を示した。
案A:市場価格に合わせる(従来のプラチナ相場に追従)
メリット:世界市場との整合性が取れる
デメリット:生産コストから見て不自然、篠崎技術の価値が正当に評価されにくい
案B:市場価格よりやや安く設定(10〜20%安)
メリット:産業界の受け入れが良い
デメリット:鉱山国へのダメージ、国際的な軋轢のリスク
案C:市場価格より高く設定し、“希少性維持型”を世に示す
メリット:資源国家化の懸念が薄れ、国際的なパワーバランスを乱しにくい
デメリット:産業界から不満が噴出、国内での批判は避けられない
説明が終わると、会議室に緊張が戻った。
◆
「……Aでは意味がない」
「Bは危険だ」
「Cは国内が黙っていない」
各省庁の利害が激しく交錯し、議論は混迷を深めていく。
だが、最後に宇都宮がぽつりと言った。
「“篠崎プラチナ”は無限ではない。生産には管理が必要で、装置も故障する。
それを世界に示すためにも──しばらくはC案を基準に、慎重な価格管理を行うべきだろう」
異論もあったが、誰も完全に否定することはできなかった。
こうして政府は、
“市場価格より高め”に人工プラチナを設定し、国際情勢を乱さない形で流通させる
という暫定方針を固める。
だが、これはまだ序章にすぎない。
――新たな資源を巡る世界の反応は、ここからさらに激化していくことになる。