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第22話 供給不安

作者:急急如律令


2025/11/28 15:00 公開

― 大学本部・研究倫理センター 会議室 ―

 大学本部の重厚な会議室に、低いざわめきが広がっていた。壁面には研究倫理センターの紋章。中央には長い無垢材のテーブル。その端に、ひときわ険しい顔の男が立つ。
 反対派の筆頭、木嶋准教授。 その手には、封蝋で閉じられた一通の書面が握られていた。

「――本日、我々“理論物性化学研究室”および数研究室連名により、 公式抗議文を提出します」

 会議室の空気が一瞬で凍りついた。対面に座るのは、研究推進部の部長、学部長、法務室の担当者たち。そして、事情説明のために呼び出された 桜庭教授、篠崎蓮、桐原明里 も揃っていた。

 学部長が静かに口を開く。

「……抗議文とは、また強い言葉を使われますね。 研究上の不正行為でもあったと?」

 木嶋は机に書面を叩きつけるように置いた。

「“不正”とは言いません。しかし――科学の基盤を揺るがす危険性があります!」

 書面の表題にはこう記されていた。『超常的金属生成能力に関する研究利用停止の要望』
 桜庭教授が眉をひそめる。

「木嶋君……これはさすがに過激では?我々の研究が危険という根拠は何だね」
「根拠なら、いくらでもあります!」

 木嶋の声は、苛立ちと焦燥が混ざり合い、震えていた。

「篠崎君の生成金属は、純度、結晶構造、加工性……どれを取っても自然界ではありえない!
 これは科学ではない、“現象”だ。再現性がなく、理論的説明もない。このまま日暮研究室や政策科学研究室に独占させれば……我々の領分は奪われる!」

 若手研究者が小さく「先生、本音が出てます」とつぶやき、隣に小突かれた。

 木嶋は続ける。

「さらに! 大学内外の資金流通に影響が出る可能性! 政財界の圧力! そして……何よりも――」

 彼はちらりと篠崎と明里を見る。

「恋愛の影響を受けて現象が変動する研究など前代未聞だ!!」
「恋愛は関係ないです!!」 明里が即座に反論した。

 蓮も慌てて立ち上がる。

「そ、そうです! あれは偶然で……あの、えっと……!」
「手をつないだらパラジウム生成したんだろうが!!」
「いや、それは……いや、その……」

 会議室の空気が微妙な方向にざわめいた。木嶋は勝ち誇ったように胸を張る。

「以上の理由から、我々は金・白金族生成能力の研究利用を一時停止し、第三者による検証委員会を設立すべきと提案します!」

 学部長が深く息を吐き、書面をめくりながら口を開く。

「……なるほど、意見は理解しました。ただし――」

 視線が蓮へ向く。

「――篠崎君の能力は、この大学の研究・産業連携にとって国家級の資産でもある」

 木嶋の肩がビクリと震える。

「よって、本件はすぐに停止ではなく、拡大監視のもとで継続研究。さらに、複数研究室の合同プロジェクト化を検討します」
「なっ……!?」
「木嶋君。あなたの研究室にも、サンプル提供の優先枠を付与しましょう」

 反対派の全員が固まった。木嶋は震える声でつぶやく。

「……それは……妥協ではなく……むしろ……」

「研究のチャンスです。反対派も“検証者”として、正式にプロジェクトへ参加していただきます」

 その言葉に、会議室の空気が劇的に変わった。反対派の若手が思わずガッツポーズをする。 木嶋はシワだらけの書面を握りしめながら叫ぶ。

「……ぐ、ぐぬぬ……! なぜだ……! なぜ我々が“参加する側”に回る流れになるんだ……!」

 桜庭教授がぱちんと手を叩いた。

「では決まりだね! 篠崎君、明里君、これからは大学全体のプロジェクトとして、 責任を持って成果を出すんだぞ」
「はい!」

 蓮と明里の返事が重なり、会議室に響いた。木嶋は机に突っ伏しながら呟く。

「……こんな展開、聞いてない……なぜ抗議文を出したら……研究枠が増えるんだ……」

 若手がぽんと背中を叩く。

「先生……これもまた、科学の前進ですよ」
「前進だけど……! 悔しい!!」

 反対派の嘆きは、研究棟の廊下にまでこだました。


― 世界の混乱が、静かに研究室へ影を落とした ―
 その速報は、昼休みの研究棟に響いた電子音とともに届いた。

『――緊急ニュースです。白金族の主要産出地域で武力衝突が発生し、複数の鉱山が操業停止に追い込まれています。パラジウム・プラチナの国際価格は急騰し――』
「……またかよ」

 篠崎蓮は手に持っていたタブレットを見つめた。画面には、パラジウムのチャートが噴水のように跳ね上がっている。

隣で明里が眉をひそめた。
「白金族の供給地で、また紛争……。そりゃ、価格も上がっちゃうよね……」
「これ、研究どころじゃなくなるな……」

 そう蓮がつぶやいた時、背後から落ち着いた声がした。

「まさに、だ。これは厄介な展開になった」

 桜庭教授が、難しい顔でニュース画面を見つめていた。

「教授……紛争って、今回どれくらい深刻なんですか?」
「鉱山が完全に封鎖された。白金族の世界供給の、実に三割が影響を受けている」
「三割……?」

 明里の声が震える。

「つまり――世界中が代替供給源を探す。その目が、我々に向くのは当然だろうね」

 教授は蓮と明里を見た。

「篠崎君、明里君。――間違いなく、問い合わせが増える」

 その言葉通り、数時間後には研究室の電話もメールも鳴り止まなくなった。

◆ 「試料提供を増やせませんか」
◆ 「供給安定化に協力を」
◆ 「国際材料会議に参加してほしい」
◆ 「白金族市場の混乱を抑えるべきだ」

 教授は苦笑しながらモニタを閉じた。

「紛争による供給不安は、我々にはどうにもならん。だが世界は……“篠崎の能力で埋め合わせろ”と考えているらしい」
「無理ですよ。俺の生成量なんて、せいぜい研究用のスケールなのに……」
「ええ、その通り。だからこそ――誤解を解く必要がある」

 教授は指で机を軽く叩き、言葉を続けた。

「これは我々の技術ではなく、篠崎君の“特殊能力”だと。産業の代替にはならないと。明日、大学として公式の声明を出す」

 蓮は黙って頷いた。しかし明里は少し唇を噛む。

「でも……紛争で困ってる人たちもいるんですよね。医療や研究に必要なところとか」
「もちろん、必要な分は提供するさ」
教授は穏やかに答えた。

「だが、世界供給の穴を埋められるほどの量ではない。そこが現実だ」

 明里は蓮の方を見た。

「蓮くん……無理しなくていいからね」
「分かってる。でも……完全に他人事ってわけにもいかないよな」

 蓮は指輪に触れた。ひんやりとした白金の感触が、妙に重い。

 その時、教授が静かに付け加えた。

「ひとつだけ、可能性がある」

 二人が顔を上げる。

「“白金族の生成を安定化させる技術”を確立すれば、量は少なくとも供給源の“補助”にはなりうる」
「それって……」
「新型の錬金補助装置だよ」

 紛争による供給不安――世界の混乱を背景に、研究室は新たなフェーズへと突入していく。


◆反対派からの“静かな”要請

白金族の国際価格が跳ね上がった朝、学内はざわついていた。研究棟の掲示板には、昨日出されたばかりの「錬金研究反対派」による公式抗議文がまだ貼られたままだ。だが、文言の威勢とは裏腹に、廊下を行き交う反対派の教授たちの顔色は冴えない。

昼過ぎ、篠崎研究室のドアが控えめにノックされた。

「……失礼するよ」

入ってきたのは、反対派の中心人物の一人──材料科学の権威として知られる 黒川教授 だった。昨日までの険しい表情は影を潜め、どこか沈んだ瞳をしている。

「黒川……先生?」
篠崎が戸惑いの声を上げる。

「抗議文の件で、また何か……?」
明里が少し警戒した声で尋ねる。

黒川教授は、咳払いをして視線を逸らした。

「……単刀直入に言おう。パラジウム、試料を少しだけ譲ってくれないか」

研究室の空気が凍りついた。

「えっ……え?」
篠崎は思わず聞き返す。

黒川は苦い顔で続けた。

「国際価格が跳ね上がってしまってね。うちの研究室のプロジェクトの中間レビューが来月控えている。だが、必要量のパラジウムが、どうしても確保できん。予算委員会も、この状況では追加予算を認められんと言ってきてな……」

明里は黙って篠崎を見る。篠崎も迷うように視線を落とした。

「……昨日、反対の公式文書を出したばかりですよね?」
明里がやんわりと、しかし鋭く言う。

「わかっている。だが研究は待ってくれんのだ。……頼む。必要なのはほんの少量だ。君たちが生成するパラジウムの純度が、従来の市販品と一致するかどうか、検証したいだけだ」

“検証したい”──もっともらしい理由をつけているが、
篠崎にも明里にも、それが “欲しくて仕方ない” という本音の隠れ蓑だとわかった。

黒川はさらに言葉を続ける。

「もちろん……正式には、大学内での手順を踏む。これは個人的なお願いではない。 研究室の、いや学部としての必要性だ」

反対派が自ら“供給要請”に来るなど、数日前には考えられなかった状況だ。

篠崎は深く息を吸い、明里と目を合わせてうなずく。

「……わかりました。ただし、提供するのは研究目的に限る。そして前回提出された“抗議文”の内容と矛盾しないよう、そちらの学内調整は、そちらでお願いします」

黒川はため息交じりに、しかしどこか安堵した笑みを浮かべた。

「承知した。助かる……本当に」

教授が去ったあと、明里は苦笑した。

「昨日まで“危険な錬金術だ”“学問の根幹を揺るがす”とか言ってたのにね」

篠崎も肩をすくめる。

「……研究って、理想だけじゃ回らないんですよ。必要な物質が手に入らなきゃ、どんな信念も負けます」

明里は笑いながら篠崎の手を握った。

「じゃあ……みんなの研究が前に進むくらい、私たちで少しずつ助けていこっか。錬金術で」

その日、大学の反対派陣営は、“供給を受けた”とは決して口にはしなかったが、噂はあっという間に学内を駆け抜けることになる。

◆産業界に走る“白金族ショック”

白金族価格の急騰が報じられた翌週。産業界は、大学以上に深刻な影響を受け始めていた。

◆自動車メーカーの悲鳴

大手自動車メーカー〈東亜モビリティ〉の会議室では、幹部たちが顔を引きつらせていた。

「触媒コンバータ用のパラジウム価格が、三日前の二倍だと!?」
「確保していた四半期分の在庫も、このペースだと持たん! 新車の生産計画を見直さざるを得ないぞ!」

担当者が震えた声で付け加える。

「……サプライヤーから“追加調達は不可能”との連絡も来ています。 紛争地域からの供給が完全に止まったようです」

会議室は騒然となった。白金族は自動車触媒の要、代替は容易ではない。

「政府に緊急支援を申請しろ! プラチナへの部分置換も検討しろ、急げ!」

それは、大学内の錬金術研究が、やがて産業界の命運にまで関わる未来を示唆していた。

◆電子部品メーカーの混乱

別の業界でも異変が起きていた。電子部品メーカー〈光栄デバイス〉では、技術者たちが顔を寄せて深刻な表情をしている。

「パラジウムめっきが使えないと、高信頼性のコンデンサが作れない……」
「銀やニッケルじゃ、耐久性も発熱特性も落ちる……長寿命モデルは全部ライン停止か?」
「どうするんだよ……!」

そこへ、経営企画の若手社員が新聞を抱えて飛び込んでくる。

「これ見てください! “大学で不純物ゼロの白金族試料を生成”って……噂ですけど」

技術者がぽつりと言う。

「……あの錬金研究、本当に素材を作れるなら……産業救えるんじゃないか?」

その場の誰も口にはしなかったが、誰もが同じ考えを抱いた。

◆宝飾業界での狂騒

宝飾店〈銀座カンパーナ〉では、店長が頭を抱えていた。

「プラチナの卸価格が上がりすぎて…… 婚約指輪用のPt950リングが、原価で倍だよ……!」
「デザイン料を削っても、販売価格を上げざるを得ません。 ……お客様の予約、全部説明し直しですね」

店員たちはため息をつく。そこへ若い社員が慌てた声で言う。

「店長! “明里ブランド、パラジウムの新作発表か?”ってSNSで話題になってます!」

店長は顔を上げた。

「……あの子のブランド、本当に錬金で材料作ってるって噂、業界でも本気で信じられ始めてるよ。はぁ……うちはどうしたらいいんだ……」

宝飾業界は、白金族が手に入るかどうかで命運が分かれようとしていた。

◆政府との距離が縮まる伏線

同じ頃、霞ヶ関では官僚たちが頭を抱えていた。

「白金族の価格上昇は国家産業への打撃だ。……例の大学の錬金研究、事態によっては政府が直接介入すべきかもしれん」
「産業界から“大学との協力”を求める声も来ている。早急に実態調査を進めろ」

こうして、大学の“パラジウム騒動”は、いよいよ日本全体を巻き込む波紋へと広がっていく──。

◆白金族増産の打診

霞ヶ関からの正式文書が大学本部に届いたのは、冬の雨がしとしと降る午後だった。
封書には〈極秘〉の朱文字。学長はそれだけで嫌な予感を覚えた。

◆緊急招集された学長室

学長室には、桜庭教授、技術移転センターの所長、そして篠崎と明里が呼び出されていた。重い空気が垂れ込める中、学長が封書を開き、静かに読み上げる。

「……政府より。“白金族の供給不安及び産業危機に備え、貴学における白金族試料の安定供給体制を早急に確保したい。可能であれば生産量の増加も検討されたい”。」

明里は目を丸くし、篠崎は喉を鳴らして息を呑む。

「……つまり、私たちに“もっと作れ”ってことですか」

桜庭教授も深刻な表情で腕を組んだ。

「白金族の国際価格は高騰している……政府としては当然の動きだな。だが、これは──」
「大学研究の枠を逸脱していますな」と技術移転センター所長。
「生産量を増やす? 工場じゃないんですよ、ここは」

◆政府からの“追い打ち”電話

学長の机上の電話が突如鳴り、全員がびくりとする。表示は〈経産省 産業政策局〉。
嫌な予感が現実になった。スピーカーに切り替えると、官僚の抑揚のない声が流れた。

『この度は急なご連絡失礼します。現在、国内の触媒メーカーや電子部品企業から強い要望が届いておりまして……。国としても、貴学の協力を正式に要請したく存じます』

桜庭教授は噛みしめるように言う。

「研究倫理や知的財産の問題があります。“生産”まで求めるのは行き過ぎでは?」
『理解しております。ただ……国家的危機でして。 もし可能であれば――供給量を、月間で現在の“二倍”に』
「二倍!?」

思わず声を上げたのは明里だ。

「無理ですよ! そんな、大量には……!」

篠崎も慌てて追加する。

「安全にも関わりますし……能力の負荷も。大学は工場じゃないんです!」

だが官僚の声は揺らがなかった。

『承知しています。しかし、企業のライン停止が相次げば、日本の基幹産業が打撃を受けます。国の将来がかかっています。どうか、ご協力を――』

電話は静かに切れた。

その場には、重く冷たい沈黙が残った。

◆大学側の会議 ― 揺れる判断

学長が深く息を吐く。

「……政府がここまで踏み込んでくるとは。このままでは、外部委員会が設置され、国に研究が丸ごと持って行かれかねない」

桜庭教授が険しい表情で言う。

「彼らの論理はわかります。しかし、我々は“量産”の安全を検証していない。能力者本人に負荷が集中する可能性もある」

明里は強い眼差しで言った。

「……やればできると思います。でも、大学が守ってくれるという前提があればです。政府が勝手に私たちを“資源”扱いするようなことは、絶対に止めてください」

篠崎も静かに言葉を続ける。

「必要分だけなら……試料提供には協力できます。けれど、“管理される側”になるのは違います」

学長は席を立ち、窓の外の雨をじっと見つめた。

「……わかった。返答にはこう書こう。“安全性と研究倫理上、増産は段階的かつ限定的にしか応じられない”。そして逆に――」

桜庭教授が目を細める。

「逆に?」
「国に“研究費の増額”と“設備拡充”を要求する。研究レベルで協力する以上、こちらにも条件を提示する必要がある」

明里がぽつりと呟く。

「……交渉、ですね」
「そうだ。向こうが本気でくるなら、こちらも本気で返す。大学と研究者を守るためにな」

会議室に、少しだけ前向きな空気が戻った。翌日。大学は政府へ正式に回答文書を送付した。

◯白金族の供給は限定的に協力可能
◯生産量増加は安全性検証を伴う段階的対応
◯大学の自主性と研究倫理は厳守
◯代わりに、研究予算・試作設備の拡充を国が支援することを求める

この文書は霞ヶ関に大きな波紋を呼んだ。“政府の言いなりではなく、対等な交渉姿勢を取った大学”として。そしてついに――政府と大学が「合同増産審査会」を開くことが決まり、物語は次のステージへと進んでいく。