2025/11/27 15:00 公開
――パラジウム騒動から三日後。
桜庭研究室の会議室は、昼間にもかかわらずカーテンが閉められ、密談のような静けさに包まれていた。篠崎と明里は教授の両隣に座り、緊張した面持ちで前を向いている。
「さて、今日は“欲しい派の研究室”と、どう付き合うかを決める」
教授が言うと、助手のアーネストが苦笑しながら資料を配った。
「ナノ触媒研究室、バイオマテリアル工学、量子化学シミュレーション……どこも、パラジウムを欲しがる理由は正当です。ただし、欲望が暴走しやすいのも事実ですね」
「篠崎くん、怖がらなくていいよ。今日は“こっちからの根回し”だ」
桜庭教授はにやり、と悪戯っぽく笑う。
◆ナノ触媒研究室へ
翌日、教授は篠崎と明里を連れてナノ触媒研究室を訪れた。部屋には金属粉末の匂いが漂い、白衣姿の研究者たちが期待を隠そうともせず振り返る。
明里は小さく息を呑んだ。(……視線が全部、蓮くんに向いてる……)
教授が一歩前へ出る。
「パラジウムの提供についてだが、条件がある。生成源である篠崎くんの安全を最優先とすること。実験は密閉環境、試料は数ミリグラム。管理簿も提出してもらう」
ナノ触媒の准教授は即答した。
「もちろんです。こちらも学内の正式プロジェクトとして扱いたい。篠崎くん、よろしく頼めるかな?」
押しの強い眼差しに、篠崎はたじろぎながらも頷いた。明里はその瞬間、そっと篠崎の背中に手を置く。彼もわずかに身体を預けた。
(――よし。まず一つ)桜庭教授は心の中でつぶやく。
◆バイオマテリアル工学へ
次に訪れたのはバイオマテリアル工学の研究室。若手の女性助教が満面の笑みで迎えた。
「パラジウム、ぜひ触らせてください!」
桜庭教授は軽く手を上げて制した。
「その前に。これは“共同研究”だ。提供量は極微量、生体適合性の評価のみ。結果データはすべて共有してもらう。いいね?」
「……それくらいなら、もちろん!」
女性助教は書類にすぐサインをした。
(ここの研究室は素直で助かるな)教授は内心うなずく。
◆量子化学シミュレーション研究室へ
最後に訪れたのは、癖の強いことで有名な量子化学シミュレーションの教授。
数式の山に囲まれ、目の下にクマを作りながら振り返った。
「……そのパラジウム、量子サイズの構造安定性はどうなってる?」
第一声からこれである。
桜庭教授は淡々と言った。
「まずは解析データを共有する。サンプルは最も少量、数十マイクログラム。理論計算のモデル化に使うだけだ」
「……ふむ。それなら問題ない」
教授は眼鏡をくいと上げた。
ここは煩わしい駆け引きがない代わりに、要求が学術的で重い。だが、その分発表するときの信頼度は高い。桜庭教授は一番“押さえたかった”研究室でもあった。
◆根回しが終わった帰り道
研究棟を出ると、夕日が差し込み、建物の影が長く伸びていた。
「なんか……すごい一日でしたね」
篠崎が力なく笑う。
「でも、篠崎くんの“気持ち”があったから、全部うまくいったんだよ?」
明里が横から覗き込み、微笑む。篠崎は耳まで赤くした。
桜庭教授は後ろから二人を見て、肩をすくめた。
「まったく。君たちがペアリングしてからというもの、騒ぎの絶えない大学だ」
アーネストが笑って続ける。
「ですが、今回の根回しで“不信感”はかなり薄れましたよ。皆さん、データと条件さえ整えば協力的です」
「そうだな。これで――パラジウム研究は正式に動き出す」
教授は夕空を見上げながら言った。
「次は、国だ。パラジウムの扱いは金や白金以上に繊細になる。政治的な根回しも必要になるぞ」
篠崎と明里はそっと手をつなぎ、緊張しながらもうなずいた。
――こうして、大学内の根回しは完了し、次の大きな波がゆっくりと近づいていた。
◆政府へのパラジウム報告・交渉
――霞ヶ関・合同審査室。
重たい扉をくぐった瞬間、空気が変わった。無機質な会議室。楕円形のテーブルに並ぶスーツの男たち。篠崎と明里は緊張で喉が渇き、桜庭教授だけが不敵に笑っていた。
中央の席に座った経産省の審議官が口を開く。
「――では、本日の議題。“パラジウム生成の事実確認”および、“白金族金属の扱いに関する技術的・政策的判断”について」
桜庭教授が立ち上がり、淡々と説明を始めた。
「本研究室は既に金・白金の生成を確認済み。そして先日、篠崎蓮くんと桐原明里さんの協働により、パラジウムの生成が成功した。生成量は極微量、学術実験レベルだ」
「……本当に、パラジウムなんですね?」
財務省の担当官が眉をひそめる。
「純度も分析済み。疑いようはありません」
アーネストが資料を配ると、部屋がざわりと揺れた。
◆政府側の核心質問
「篠崎くん」
名指しされ、篠崎はびくりと肩を揺らした。
「君の能力は、金と白金だけではないのか? “白金族(金・白金・パラジウム・ロジウム・ルテニウム・イリジウム)”をすべて生成し得る能力なのか? 我々が知るべきはそこだ」
部屋の空気が一段階冷たくなる。
篠崎は小さく息を呑んだ。
「……現時点で、生成が確認できているのは金・白金・パラジウムの三種だけです。他の白金族については、意図してもイメージが固まらず失敗しました」
「意図? 想像で金属が生成されるのですか?」
「……はい。イメージが正しく固まった金属だけが出てきます」
審議官たちは互いに顔を見合わせた。
「ふむ……つまり、もし君の“想像”が進めば、白金族全体が生成対象になる可能性はある、という理解でよいか?」
篠崎は言葉に詰まる。そこへ、明里がそっと手を伸ばし、テーブルの下で彼の手を握った。
彼は深呼吸をし、正面を見据えた。
「……可能性は、ゼロとは言えません。ですが現状では再現性がありません。研究室としても“安全性の担保が取れた金属のみ”に絞っています」
桜庭教授が続ける。
「政府が求めるならば、研究方針は共有します。ですが一つだけ明確にしておきたい」
教授の声が会議室に響く。
「能力の限界は、篠崎くん自身が最優先で守るべき“安全領域”であり、誰の命令でも勝手に引き延ばすことはできません。」
一瞬、沈黙。
やがて審議官たちは頷き、話は次の段階へ移った。
◆経済的な駆け引き
財務省の男性:「パラジウムは自動車触媒にも不可欠です。輸入依存度が高い。生成が可能なら、日本の産業構造は大きく変わる」
外務省の女性:「国際価格に影響が出るため、他国からの監視も強くなるでしょう。今回は金以上の外交案件になります」
教授:「だからこそ、段階的な公開が必要だと考えています」
審議官:「桜庭教授。今回の報告は“国家戦略レベル”と判断します。金と白金は従来の枠で管理できる。だがパラジウム――これは別です」
彼は書類を開き、読み上げた。
「本日より、篠崎蓮および桐原明里の研究活動は高度金属生成特区プロジェクトとして扱う。外部実験は申請制、生成記録はすべて監査対象とする」
明里が不安そうに篠崎を見る。
篠崎も緊張していたが、その表情はどこか覚悟を決めていた。
「……わかりました。僕たちは安全に、そして正しく研究を進めます」
桜庭教授はにやり、と笑う。
「心配するな。君たちの未来は、まだ青い。今のうちに国をうまく使ってしまえ」
◆会議後の廊下
会議室を出ると、明里がぽつりと言った。
「……白金族、全部できちゃったらどうしようね」
篠崎は少し考え、照れた笑みを浮かべた。
「そのときは――明里が隣にいてくれれば、なんとかなる、かな」
「……なっ……!」
明里が耳まで真っ赤になり、教授は後ろで咳払いをした。
「いちゃつくのは戻ってからにしろ。次は、合金実験の報告書だぞ」
その声に、ふたりは同時に吹き出し、霞ヶ関の廊下に柔らかな笑い声が広がった。
◆プラチナ・パラジウム合金の作成
――大学・錬金研究室。
桜庭教授の出した課題は、「プラチナ(白金)とパラジウムを自在に組み合わせた合金を作れ」という、宝飾と材料科学の双方から見ても難易度の高いものだった。
「白金は硬い。パラジウムも硬い。だが合金にすれば“しなやかな貴金属”になる。宝飾業界は喉から手が出るほど欲しがるぞ」
桜庭教授はニヤリと笑い、研究机の上に試料ケースを置いた。
「そして――これは世界でも誰も作れない“純錬金合金”だ。期待しているぞ」
◆◆ふたりの実験開始
篠崎は深く呼吸し、両手を机にかざす。明里は隣で、その手をそっと重ねた。
「緊張してる?」
「そりゃするよ。明里、また何か流し込んでくれる?」
「ふふ。じゃあ……イメージ、一緒につくろ?」
明里は手を繋いだまま、ゆっくり説明し始めた。
「白金の強さと、パラジウムの伸び。どちらも冷たくて、光が鋭くて……でも、組み合わせると柔らかく溶け合う。加工しやすくて、細工が映える――そんな金属にしたい」
その言葉が、篠崎の頭の中に金属の質感となって流れ込む。ひんやりと冷たい銀白色の光、滑らかに曲がる線。重厚なのに小気味よく響く硬質な触感。
「……いける、かも」
掌に、白金とパラジウムがふわりと生まれた。二つの金属は、まるで互いを待っていたようにゆっくりと近づき――ぼうっと光が混ざり合い、粘土のような塊に変わった。
「合金化……成功……!」
篠崎は驚いて息をのむ。明里は目を輝かせた。
「すごい……! 篠崎くん、本当にできちゃった……!」
「じゃあ……この合金、試しに触っていい?」
「もちろん。俺も触ってみたい」
ふたりの指先が合金の表面に触れた瞬間――金属が、柔らかく動いた。
「うわ……。白金でもパラジウムでもない、“別の金属”みたいだ」
「あっ、これ……細工向き……!白金より柔らかいのに、銀みたいに崩れない……!曲げても戻すとちゃんと形を保つ……!」
明里は夢中で金属をいじりながら、声に抑えられない興奮をにじませた。
「これ、絶対アクセサリーに使いたい。細かい模様も掘れるし、熱しても色が変わらない……!ねぇ篠崎くん、これ――私たちの最強の素材じゃない?」
篠崎は思わず笑った。
「そう言ってくれると、頑張った甲斐があるよ」
指輪サイズの小さな輪をつくり、明里の掌に乗せた。
「……試作品第一号。もしよかったら、明里がデザインしてくれ」
「っ、もちろん!これは……絶対に、世界でひとつの宝飾品にするから!」
明里は胸の前で両手をぎゅっと握り、夢そのものを抱きしめるように笑った。その笑顔を見て、篠崎も胸が熱くなる。
「おーい、お前ら。合金ができたと聞いて来たぞ」
桜庭教授がドアを開けるなり、篠崎は試作品を差し出した。教授はそれをつまみ上げ、目を細めた。
「……ほほう。密度、柔軟性、粒界の締まり……これは――」
教授の声が震えた。
「不純物ゼロの完璧な合金だ。冗談抜きで、世界の材料工学者が泣いて土下座するレベルだぞ!」
篠崎と明里はつい顔を見合わせ、吹き出してしまう。教授は満面の笑みで叫んだ。
「よしっ! 次は安定供給と加工実験だ! 世界初の“錬金合金ジュエリー”を市場に叩き込んでやるぞ!!」
◆欲しい派の研究室への試料提供
工学部棟の奥、材料科学研究科にある「機能性金属工学研究室」。白金族の研究で名を馳せる研究室だが、いまは珍しく扉の前に行列ができていた。
「……まさか、大学内で“抽選待ち”ができるとはな」
篠崎蓮は苦笑しつつ、腕に下げた小さな金属ケースを握り直した。中身は、明里と二人で慎重に生成したパラジウムのマイクロサンプルと、プラチナ・パラジウム合金の薄片。どちらも極めて小さいが、学術的価値は計り知れない。
列の一番前で、教授陣がそわそわと待っているのが見える。反対派の静かな圧力とは対照的に、“欲しい派”は露骨に目を輝かせていた。
「篠崎君、来てくれたか!」
いち早く駆け寄ってきたのは機能性金属の大家・日暮教授。 彼は興奮のあまり手袋をはめるのも忘れて、
「で、例の……パラジウム合金は?」
「あります。ただし、提供条件は聞いていただけるなら」
「もちろんもちろん! 実験は非破壊分析中心、学外へのサンプル持ち出し禁止、論文にする際は君たちのクレジット明記――全部承知だ」
教授の熱量に押されて、蓮は苦笑しつつケースを取り出した。その瞬間。 隣で明里が、少し緊張したように蓮の袖をつまんだ。
「蓮くん……大丈夫かな。これ、ちゃんと役に立つかな」
「立つよ。むしろ、欲しすぎて教授の目が光ってるけど」
「う、うん……だって、これ私たちが手で作ったんだもんね」
明里の頬がほんのり赤くなる。 “二人で手をつないでイメージを合わせて生成する”――あのパラジウム指輪以来、金属生成は半分デートのような空気になってしまっている。
日暮教授は、ケースを受け取る手を震わせながら、
「……これが……世界で一番純度が高い“自然生成パラジウム”か……」
そして顔を上げ、真面目な声で言った。
「ありがとう。研究者として、これを預かるのは重大な責任だ。絶対に悪用はしない。必ず科学的価値として昇華させる」
その誠実な言葉に、明里の表情が緩んだ。
「じゃあ……お願いします。私たちも、ちゃんと科学として解明されるのを望んでいます」
教授は深くうなずき、サンプルをエアロック付きの保管室へと運んでいった。列の後ろで待っていた若手研究員たちは、蓮と明里を見るなり小声でざわめく。
「本物だ……!」「噂の“錬金ペア”……!」
「あの……次、うちの研究室にもお願いします! プラチナとの電子状態を……どうしても確認したくて!」
「順番に、ですけど……はい、検討します」
蓮が苦笑しながら答えると、明里が小さく囁いた。
「蓮くん、人気者だね……?」
「いや……明里とセットなのがバレてるだけだろ」
「ふふ……セットって言われるの、ちょっと嬉しいけど?」
蓮は思わず顔をそらし、耳が赤くなる。
――こうして、“欲しい派”の研究室には順次サンプルが提供され、大学内は静かな興奮と熱狂に包まれていく。反対派は資料を積み上げて批判を続けるが、世界初の「手で作られたパラジウム」の前では、科学者の好奇心は止められないのだった。
― サンプル提供が進む中で ―
機能性金属研究棟の三階。 「理論物性化学研究室」の会議室では、反対派の研究者たちが険しい表情を並べていた。
「……また日暮研にサンプル提供だと?」
資料を叩きつけたのは、反対派の急先鋒である木嶋准教授だ。 白金族の“学理的解明”を掲げる彼にとって、“再現不可能な能力で金属を作る学生”の存在は、科学哲学そのものを揺るがす“異物”だった。
「しかもプラチナ・パラジウム合金まで……! 前例がない! こんなもの、学術的混乱だ!」
「木嶋先生、しかし……欲しい派の研究室は皆、非破壊分析と論文記載義務を守っていますし……」
「だからこそ腹が立つのだ!」
木嶋は椅子を蹴って立ち上がった。
「我々が“危険性の証明”をまとめている間に、日暮研や表面科学研がデータを積み上げてしまえば……この大学内で、我々の立場はどうなる!」
若手の研究員が遠慮がちに口を開いた。
「ですが……やはり純度と結晶構造が異常で……科学的に価値が高いのは事実でして……」
「わかっている! わかっているとも!!」
木嶋は頭を抱え、呻くように続ける。
「だから余計に腹が立つ……! “我々”が解明したかったのだ…… 学生風情に先を越されるなど……!」
会議室全体が沈黙に包まれる。
そのとき、窓の外を通りかかった学生たちの声が聞こえてきた。
『見た? 篠崎先輩、またサンプル提供したらしいよ!』
『明里先輩と手をつないで作るんでしょ? すごいロマンチック……!』
反対派のメンバー全員が同時に顔をしかめた。
「………………」
「……錬金……ペア……だと……? 科学界の混乱に、なぜ恋愛要素を混ぜるのだ……!」
木嶋の心のダメージは、学術的敗北より深かった。
「先生、気持ちはわかりますけど落ち着いてください……!」
「落ち着いていられるか!! 恋愛と錬金の二重攻撃だぞ!? 科学者の矜持が……!」
若手の一人がぽつりとつぶやく。
「……うちもサンプル、欲しいですけどね……」
「貴様ァァァァァ!! 寝返るな!!」
反対派の会議室には、教授の絶叫が虚しく響いた。それはまるで、“科学のプライドが恋愛と奇跡の前に敗北していく音”のようだった。