2025/11/16 15:00 公開
夜の研究棟は静まり返っていた。その静けさを破るように、篠崎 蓮と桐原 明里、そして桜庭教授は、海外チームの滞在室の前で立ち止まった。
「教授、本当にやるんですか……?」
蓮の声に、桜庭教授は静かに頷く。
「やらなければ、こちらがやられるだけだ。」
教授の手にはタブレット。そこには“決定的な証拠”が映っていた。
監視カメラの映像。夜中にこっそり装置室へ侵入し、部品を入れ替える黒パーカーの男。顔までは映っていない――が、彼が着ている研究所支給の作業着から所属は一目瞭然だった。
教授はドアをノックする。
「アーネスト君、いるかね?」
中から驚いた声がした。
「え? こんな時間に……教授?」
ドアが開き、若い研究員――海外チームの機器担当、アーネスト・ノルドが顔を出した。教授は無言でタブレットを差し出した。アーネストの顔色が、一瞬で変わる。
「……ど、どこで……?」
「心配しなくてもいい。君を告発しに来たわけではない。」
桜庭教授は、深く、重く言葉を落とした。
「仲間になれ。その代わり、本物の研究に参加させてやる。」
アーネストは息を呑む。
「……僕は……命令されただけなんです。」
アーネストはうつむいた。
「雇われている“スポンサー”がいて……成果を持ち帰れば昇進だと言われて……でも、あなたたちが本当に悪いことをしてるようには見えなくて……」
蓮が静かに言った。
「だったら、止めればよかったじゃないですか。」
アーネストは震える声で答えた。
「無理なんです……逆らったら、研究者として生きていけない。僕らには……“帰れない事情”があるんです。」
教授はその言葉を聞いて、急に優しい目をした。
「アーネスト君。それならなおさら、君がこちら側に来るべきだ。」
アーネストは顔を上げた。教授はゆっくりと続ける。
「我々は世界を騙すつもりはない。だが、世界にすべてを明らかにすることもできない。だからこそ、信頼できる科学者が必要だ。」
教授は真っ直ぐアーネストを見つめた。
「君は優秀だよ。装置の内部を理解し、分解し、再組立までできた者など他にいない。敵に回すには惜しい。」
蓮が続けた。
「……本気で研究したいなら、力を貸してください。“盗み”じゃなくて、正面から。」
明里も静かに頷く。
「あなたの技術……すごく丁寧でした。装置を壊すより正しく理解しようとしてた。だからわかります、あなたは本当は悪い人じゃない。」
アーネストの目に、涙が浮かぶ。
「……本当に……僕でもいいんですか……?」
教授は手を差し出した。
「ようこそ。“こちら側”へ。」
アーネストは震える手で、その手を握った。こうして、スパイとして送り込まれたはずのアーネストは――彼は機械工学・材料物性の専門家。装置の改良や安全性、外部からの偽装への対策を一手に引き受けることになる。そして何より――「外部勢力の動向」を最前線で知る貴重な情報源となった。
桜庭教授は満足げに言った。
「さて、これで戦力は整った。次は“本当の研究”を始めようか。」
蓮と明里も、無意識に拳を握る。国際共同研究室の会議室は、窓の外に広がる冬の陽光を反射して、無機質に白く光っていた。中央のテーブルには資料が並び、すでに海外研究チームの代表が座っていた。
金髪の研究者――アーネスト・ハルドン。穏やかな物腰と鋭い観察眼を持つ、今回の共同研究のキーマンだ。ドアが開き、篠崎蓮(しのざき れん)と桜庭教授が入室すると、アーネストはすぐに立ち上がって微笑んだ。
「ようこそ。噂の“独自機構リング”を見せてくれるのですね」
蓮はうなずき、ケースを開く。内部の黒いスポンジに、光沢を放つ金の指輪が収まっていた。
「これが……貸出用リングです。装置と同期することで、金の再資源化プロセスの効率を大幅に高めます」
アーネストが興味深そうに覗き込む。
「驚くべき仕組みだ。しかし……本当に安全なのですか?」
桜庭教授が静かに答えた。
「もちろん。このリングは篠崎君の“メインリング”と同期して初めて動作する。彼が外せば、安全装置としてすべての機能が停止する」
アーネストの目がわずかに揺れた。蓮はその反応を見逃さない。――これ以上ない抑止力だ。奪っても意味がないし、改造もできない。
アーネストは慎重な表情でリングを手に取り、一度、光にかざした。
「なるほど……本当に“依存型”なのですね。ならば、悪用の心配は無い」
そして、少し声を落とした。
「ところで――“例の件”は?」
桜庭教授が蓮に一瞬目配せする。海外チームに貸出リングを渡す本当の理由。
それは研究目的だけではない。蓮は深く息を吸い、率直に切り出した。
「金の販売ルートを作りたいんです」
アーネストが目を細める。
「やはり、そう来ましたか」
教授が補足するように続けた。
「我々の“再資源化技術”が軌道に乗れば、ある程度の金が定期的に生み出されます。しかし――日本国内でそれを売れば、すぐに怪しまれる」
蓮が真剣な目でアーネストを見る。
「あなたのチームが持つ“複数国にまたがる貴金属取扱ネットワーク”。その流通ルートを、こちらに回してほしい」
アーネストはしばし黙ってリングを見つめ、やがて低い声で呟いた。
「……つまり、あなた方は研究の裏で“金の処分”をしたいと?」
「処分じゃない、“再資源化”だよ」
蓮がすかさず訂正する。
教授もにこやかに付け加えた。
「もちろん正式な契約と報酬はお支払いします。あなた方にも悪くない話でしょう?」
アーネストは小さく笑い、リングをケースに戻した。
「悪くないどころか――こちらとしても、金の供給が安定するのはありがたい。流通は私が取りまとめよう」
蓮は胸を撫で下ろす。
するとアーネストがいたずらっぽく微笑んだ。
「ただし、条件が一つある」
蓮と教授が同時に身構えた。アーネストは指でリングをコツンと叩き、言った。
「あなたの“本物のリング”……その動作データも共有してほしい。これがなければ、技術の本質が理解できない」
蓮は息を呑んだ。“コアリング”のデータは能力そのものに直結してしまう。安易に渡せるものではない。
桜庭教授が蓮の肩に手を置く。
「……篠崎君、判断は君がするんだ」
蓮は深く考え、そして静かに答えた。
「データの“表層”なら、提供します。でも“核心部分”にはアクセスさせません」
アーネストは満足そうに微笑んだ。
「交渉成立だ。共に黄金の未来を作ろう、篠崎君」
その握手は、ただの学術協力ではなかった。――これは、国境を越えた金の流通網を巡る、新たな密約の始まりだった。