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第28話 出荷開始

作者:急急如律令


2025/12/05 15:00 公開

ロジウム生成成功の報告が政府に上がった翌週。
霞ヶ関の地下にある会議室では、緊急の極秘会議が開かれていた。



内閣直属の安全保障部局の主任が、低い声で言う。

「……既に複数の国が動き始めています。
大学周辺の不審な通信量が増え、外国情報機関の関与が疑われる」

隣で経産省の局長が唇を噛む。

「やはり来たか……。
ロジウムは世界にとって“喉から手が出るほど欲しい資源”だ。
奪い合いが起きるのは必然か」

防衛省の担当官が資料を示した。

「海外からの研究者招聘メールが急増。
篠崎蓮、桐原明里、鳥居凌……三名全員に届いています。
内容は『研究環境の提供』『特別待遇』など、典型的な引き抜きの前兆です」

経産省局長が深刻な顔で言った。

「……本格的な諜報戦に発展するぞ」



その頃、大学では小さな異変が続いていた。

図書館のセキュリティログに謎のアクセス。
使われていない実験室のドアがわずかに開いている。
構内に見知らぬ外国人研究者が増えている。

桜庭教授は眉をひそめた。

「……これは偶然ではないな。
蓮、明里、しばらく単独行動は控えろ」

鳥居准教授も、珍しく真剣な顔で言った。

「アメリカ帰りの肌感覚で言うが……
“見られてる”気配が濃くなっている」

蓮は不安を隠して笑った。

「……いよいよ、本当に狙われてるんですね」

明里は蓮の袖をぎゅっと掴む。

「怖い……蓮に何かあったら……」

蓮は明里の手を握り返した。

「大丈夫。僕たちには政府も大学も味方だよ」

しかし――
その言葉を裏切るように、敵はすぐ動いてきた。



深夜、大学のサーバーに異常なアクセスが検知された。

情報セキュリティ担当がすぐさま政府に通報し、
対サイバー攻撃班(“サイバー防護隊”)が動く。

「不審アクセス、国外IPとプロキシを多重に経由……
本気だな、これは」

「解析開始。
おそらくロジウム生成データの窃取が目的です」

政府側の分析官が呟く。

「……このタイミングで動いてくるとは、相手は熟練者だ」

しかし、攻撃の直後に再アクセスがあった。

攻撃パケットの特徴から、
“複数国の情報機関による同時行動”
であることが明らかになった。

国家にとって、ロジウム技術は“戦略兵器”同然なのだ。



翌日。政府は重大な決断を下す。

官僚が大学本部の会議室で宣言した。

「本日をもって、ロジウム関連研究を
『国家特別管理研究』に指定します」

「職員の身辺警護を強化。
篠崎蓮、桐原明里、鳥居凌――
三名には専属の警護担当をつけます」

桜庭教授が息を呑んだ。

「……そこまでの状況なのか?」

警察庁の対外情報部の職員が真剣な目で答える。

「海外情報機関の動きが激しい。
“研究者の確保”、
“データ奪取”、
“機械ペアリングの盗難”、
どのシナリオも現実的です」

蓮は思わず苦笑した。

「……まるでスパイ映画みたいですね」

明里が蓮に抱きつくように近づく。

「笑い事じゃないよ! 本当に狙われてるんだから!」

鳥居准教授が肩をすくめ、冗談めかして言う。

「まあ、君らは世界トップの触媒兼錬金研究者だからな。
世界中が欲しがるさ。悪い意味で」

政府の担当官が重い声で締める。

「これより、保護と反撃の両方を行います。
日本の技術を守るために――」



翌日から、影の攻防が始まった。

構内に不審者 → 尾行と排除

不審な海外アカウント → 速攻で通信遮断

海外企業からの“共同研究”オファー → 全て政府確認へ

大学内部の情報漏洩を疑い → 職員を調査

敵も引かない。

メールのなりすまし

SNSで学生になりすまし接触

サーバーへの再侵入

構内への潜入試行

“静かな戦争”は、大学の周囲で熱を増し続けた。



その戦いの最中。
蓮は明里と夜のキャンパスを歩いていた。

「……僕は逃げません。
この能力は、もう僕だけのものじゃない」

明里は黙って蓮の手を握る。

「蓮がどんな道を選んでも、私は隣にいるよ」

蓮は少し照れながらも微笑んだ。

「ありがとう、明里。
君がいてくれるから、戦える」

暗闇の中、遠くで監視ドローンが静かに飛び去っていく。

研究を守るための戦いは、
まだ始まったばかりだ。




大学内の重厚な会議室。
国の高官が並ぶ長机の中央に、桜庭教授と鳥居准教授が座っていた。
テーマは――「ロジウムの正式供給ルートの確立」。

希少金属ロジウム。通常なら1g数万円以上、研究用ですら入手困難な代物。
だが今回の元素変換実験が進めば、ロジウムは基盤技術となる。
国家レベルの管理が避けられない。


内閣府科学技術政策局長・葉山が口火を切る。

「本日は、元素変換実験の進展に伴い、ロジウムの安定供給体制を正式に協議したい。
 桜庭教授、現状の必要量を教えていただけますか」

桜庭は落ち着いた声で答える。

「現段階では週あたり5g。
 ただし本格的な転換実験段階に進めば、月ベースで50〜80gになる見込みです」

会議室全体がざわつく。
ロジウムは国家備蓄すら乏しいのだ。



そこへ鳥居が軽く手を挙げた。

「ロジウムの使用効率は改善できます。
 触媒回収率を97%まで高められれば、必要量は半分以下になるはずです」

「97%…?」
官僚たちが驚く。

「アメリカの研究機関でそのレベルの回収システムを扱っていました。
 日本でも同等のラインを作れるよう設計図は用意できます」

部屋の空気が一転し、希望が生まれる。



経産省資源エネルギー庁の担当者が資料をめくりながら言う。

「ロジウム供給については、
・国内精錬企業3社からの優先供給枠
・国際市場からの年間購入枠の確保
・研究用ロジウムの特区扱い
以上を内定させています。

また、今回の実験成功後は、ロジウムではなくパラジウム・銀から合成できる段階へ移行すると伺っていますが?」

桜庭が頷く。

「最終的にはロジウム依存は減らせます。
 ただし――それまでは国のバックアップが不可欠です」



議論は数時間続き、最終的に次の暫定合意が形成された。

研究チーム専用ロジウム供給枠を国家が保証する

触媒回収システムの予算を特別枠で承認

ロジウムの使用量・回収率を毎月報告する監査体制

実験成功後はロジウム依存度の段階的削減計画を共同で策定

葉山局長がペンを置き、静かに宣言した。

「これで、日本の元素変換技術は正式に国家プロジェクトとして動き出します。
 桜庭教授、鳥居准教授――どうか、世界を驚かせてください」

桜庭は深く一礼し、鳥居は軽い笑みを浮かべた。



高瀬は、会議室の隅に設けられた「関係者席」に静かに座っていた。
立場上、発言は許されない。だが、席に座れただけで異例の待遇だった。

彼の胸は、緊張と興奮で何度も小さく上下していた。



会議が始まると同時に、高瀬は悟った。

――これは研究会議じゃない。
――国家の根幹を動かす“政治”そのものだ。

官僚たちの一言一言の重さ。
そこに桜庭教授や鳥居准教授が並んで、揺るぎない態度で応じている。
普段は研究室で見せる温厚さとは違う、別の顔だった。

桜庭教授は資料をめくる動作ひとつにも無駄がなく、
鳥居准教授はアメリカ帰りらしく、目が合った相手に微笑む余裕すらある。

(この人たちは本当に“この国の科学”の最前線にいるんだ……)

若手研究者としての憧れが、胸に強く灯った。



会議の中盤、桜庭教授が静かに答えた。

「本格的な段階になれば、月に50〜80gのロジウムが必要になります」

高瀬の心臓が跳ねた。
ロジウムは高瀬が実験では一欠片を扱うだけで手が震える代物だ。

「月80gって……市場荒れる量じゃないか……」

思わず小声で漏らす。
隣の先輩研究員も青ざめている。

なのに、教授は当然のように受け止め、淡々と説明している。

(器が違うって、こういうことか……)



そして鳥居が手を上げた。

「触媒回収率を97%まで上げれば、必要量は半分以下になりますよ」

会議室の空気がざわつく。
高瀬も思わず前のめりになった。

(97%……? そんな回収率、理論値じゃないのか?)

しかし鳥居は、まるで昨日の昼食の話をするように軽い口調だ。

「アメリカの研究機関で実現していましたし、日本でも十分可能です」

その瞬間、会議全体のテンションが変わった。
官僚たちの目に、明らかな希望が宿る。

(鳥居先生……すげぇ……
 この人、あれだけスキンシップ多くてチャラいのに、
 本物の“天才”じゃないか……!)



長い議論の末、葉山局長が宣言した。

「これで日本の元素変換技術は正式に国家プロジェクトとなります」

会議室全体が静まり返る。

高瀬は拳を固く握りしめた。
自分が目の当たりにしたのは、歴史の転換点――そう確信した。

(このプロジェクトの一員であることを、
 10年後も20年後も、自分は誇りに思えるだろう)

視界が少し滲むのを、必死に隠した。



会議終了後、退出する教授たちが通り過ぎる。

鳥居准教授が高瀬を見つけ、軽く肩をポンと叩いた。

「聞いてた? 面白かっただろ?」

「は、はい! 鳥肌が立ちっぱなしでした!」

「うん、そういうのが研究やってて一番楽しいんだよ。
 ――歴史が動く瞬間に立ち会えるってやつ」

桜庭教授も穏やかに微笑んだ。

「高瀬くん、これから忙しくなるよ。覚悟しておきなさい」

高瀬は胸がいっぱいになり、深く頭を下げた。

(自分も、この人たちの背中に追いついてみせる……!)



会議室は、冷房が効いているにもかかわらず、熱気と緊張で満ちていた。
テーブルの片側には政府の資源戦略局と財務省の担当官たち。
反対側には、日本を代表する大企業――自動車、化学、電子、素材メーカーの面々。

そして末席には、大学代表として桜庭教授と鳥居准教授、蓮と明里が静かに控えていた。



「では本題に入りましょう。ロジウムとプラチナの供給についてです」

資源戦略局長の葉山が淡々と進行するが、
企業側の空気は最初から“攻め”だった。

最初に口を開いたのは、自動車メーカー最大手の常務だった。

「政府が価格を主導すると聞きましたが……
 我々としては市場価格との乖離は避けたい」

「量産化できるのなら価格を押し下げるべきだ。
 でなければ産業全体の競争力に関わります」

別の企業役員もすぐに続く。

「供給量の配分も不透明です。
 一部企業に偏ればサプライチェーンが壊れる」

会議室の空気は一気に重くなる。

(やっぱり……企業は自分の利益しか考えてない……)

蓮は喉の奥で小さく息を飲んだ。



葉山は資料を閉じ、はっきりと言った。

「企業利益より優先されるのは国家安全保障です」

企業側の代表が眉をひそめる。

「元素変換による希少金属製造は、
 “戦略物資”に分類されます」

「輸出管理にもかかる。
 国防上、無制限の市場流通は認められません」

葉山は、冷たいほど落ち着いた声で続けた。

「――企業の利益調整の場ではありません」

短い沈黙のあと、企業側が苛立った視線を交わす。



そこで桜庭が柔らかいが鋭い声で口を挟んだ。

「供給量には限界があります。
 蓮くんの能力は無限ではない。
 機械による自動化にも制約があります」

大画面に研究データが映る。

「ロジウムの変換には強い精神集中が必要で、
 連続すると負荷が大きい。
 品質管理も人の目と能力の“感覚”が必須です」

鳥居も続ける。

「理論上は大量生産できるが、
 現実には品質確保と安全上、段階的拡大が必要です」

企業側の表情が変わった。

――これ以上強く押せば、政府と大学を敵に回す。

そう悟ったのだ。



沈黙が長く続いた時だった。

明里が恐る恐る手を上げた。

「……あ、あの……」

全員の視線が集まり、明里は小さく身体を震わせながら言った。

「もし供給量を増やしすぎたら、
 蓮が……倒れる可能性があるんです」

蓮は驚いて目を見開いた。

「あ……明里……」

明里は続ける。

「能力は“命”と結びついています。
 無理をしたら……取り返しのつかないことに」

その瞬間、企業側ですら言葉を失った。
官僚たちが神妙に頷く。

(明里……ありがとう……)

蓮は胸の中に暖かいものが広がるのを感じた。



葉山局長が深くうなずいた。

「以上を踏まえ、政府案を提示します」

1.ロジウムとプラチナの供給は国家統制下で行う
2.価格は国と大学の共同委員会で決定
3.企業への供給は段階的に拡大
4.蓮の安全を最優先し、生産限界を超える要求は不可
5.企業は独自に元素変換研究を進めることは認めるが、軍事利用は禁止

企業側は不承不承うなずいた。

渋い顔だが、反論はできない。



会議室を出た瞬間、鳥居が大きく息を吐いた。

「はー……やっぱ企業相手は疲れるねぇ」

蓮も思わず苦笑する。

「研究者って、こんな交渉もやらされるんだ……」

桜庭が微笑む。

「科学技術が国の軸になる時代には、
 研究者も政治の世界に巻き込まれるんだよ」

明里は、不安そうに蓮の腕をぎゅっと握る。

「……蓮、無茶しないでね」

「しないよ。明里が言ってくれたし」

照れくさく笑う蓮を見て、
鳥居が横からにやにやと覗き込んだ。

「はいはい、イチャつくのは帰ってからねー?」

「い、イチャついてないです!」

明里がまっ赤になる。

研究と政治、利権と安全、期待と不安――
すべてが渦巻く中で、
彼らの日常は確実に激動へ向かっていた。

◆試料の出荷

大学構内の一室。
白い蛍光灯が静かに光り、クリーンルーム仕様の設備が眠っている。

今日は特別だ。
ついに――“最初の出荷”が行われる。

蓮と明里、それに桜庭教授と鳥居准教授。
政府の立会官、企業技術者たちまでが揃うという異例の厳粛さだった。


「じゃあ、蓮くん。最終品質チェックを頼むよ」

桜庭教授が静かに差し出したのは、
銀色の光を帯びた小指大のプラチナインゴット。

蓮は深く息を吸い、両手でそっと触れる。

(……うん、均一。結晶構造も問題ない……)

彼の指先に、金属の“気配”が流れ込んでくる。

明里がそっと寄り添い、
蓮の肩を支えるように触れた。

「大丈夫、蓮」

蓮はうなずいた。

「うん。これは、出せる品質だよ」

政府官僚がホッと息をつき、
企業の技術者が目を輝かせる。



鳥居が腕を組みながら身を乗り出した。

「じゃ、次はロジウムね。例の“共鳴生成”で」

蓮は銀のインゴットに触れ、
明里がそっと手をつないだ。

――イメージが流れ込んでくる。

発光するような白い光沢、
硬質なのにどこか上品なきらめき。

(これが……鳥居先生の“ロジウム”の感覚……)

十数秒後、小さなロジウム試料が手のひらに現れた。

企業技術者の目がまっすぐに輝いた。

「……これが、本当に、ロジウム……?」

鳥居が得意げに鼻を鳴らした。

「そう。純度99.99%、いや蓮くんならもっと上かもね」



試料は厳重な耐磁ケースに収納され、
封印テープが貼られる。

政府立会官が読み上げる。

「プラチナ 5g、ロジウム 1g。
 試料番号 001〜006。
 受領企業:東日本化学、星条電子、カーシステムズ三社」

企業側の代表が深く礼をした。

「……まさか、本当に受け取れる日が来るとは」

蓮は照れくさく笑う。

明里は胸を張るように言った。

「蓮、すごいよ。ほんとに……」

「いや、明里が支えてくれたからだよ」

ふたりのやり取りを見て、鳥居が肩をすくめた。

「はいはい、作業中にイチャつくのは禁止だよー?」



大学の搬出口に、
白い無標識の輸送車がゆっくりと停まった。

警護のSPと、政府官僚たち。
そして報道を避けるため徹底的に目立たない装備。

蓮と明里は並んでその光景を見つめていた。

「……いよいよ、始まったんだね」

「ああ。本当に、始まった」

コンテナが積まれ、静かに扉が閉じられる。

エンジンがかかり、
黒い護衛車両に囲まれながら輸送車が動き出した。

ごう、と風が巻き上がる。

蓮はつぶやいた。

「……これで、世界が動く」

桜庭教授はその言葉にゆっくりとうなずいた。

「蓮くん。これは、ただのサンプルじゃない。
 日本の未来を変える“第一歩”だよ」

明里は蓮の手をそっと握り返した。

「蓮と一緒に、その未来を見に行くよ」

トラックは遠ざかり、大学は静寂を取り戻す。

だが、誰もが知っていた。

――もう後戻りはできない。

そして、
世界は間違いなく動き始めていた。