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第3話 理系的現実逃避

作者:急急如律令


2025/11/07 16:01 公開

 大学の講義は二の次になった。ノートPCの前で俺がやっているのは、研究でも論文でもなく「金生成の条件の検証」だった。
 ――実験ノートには「試行番号」「状況」「発動結果」「備考」ときっちり欄がある。完全に卒論フォーマットである。
 理系の性なのか、魔法をどうにか「再現性のある現象」として扱いたかった。

 まず分かったのは、俺の能力にはどうやら三段階あるということだった。
 一つは「生成」、もう一つは「集める」、そして最後に「加工」。
 ――理屈の通らない力を理屈で整理するのは、悪くない暇つぶしだ。

 最初にやったのは、何もない空間から金を作る実験。部屋の真ん中で目を閉じ、「金、出ろ」と念じる。……すると、淡い金色の粉がふわりと空気中に漂い、カーテン、机、床、ノートPCまでが薄く輝いた。
 「うわ、やば」と叫んで換気扇を回したが、すぐに部屋中が金色の微粒子で覆われた。あとで掃除機の中がキラキラしていたのを見た時の絶望感は、語りたくない。

 しかも数回試したら、ピタリと発動しなくなった。――なるほど、“燃費”が悪い。生成は直接エネルギーを食うらしい。

 次に「集める」。これは面白かった。俺は休日に河原へ行き、砂金拾いの真似事をしながら小声で呟いた。
 「集まれ」
 ……すると、川底からざらざらと音がして、いろんなものが浮かび上がった。壊れた金のネックレス、歯の詰め物、指輪、そして少量の砂金。どれも金属探知機でも無理なレベルの微量金属が、俺の足元に集まってくる。

 流石に「金の指輪」は落とし物として交番に届けた。警察官が「これどこで?」と聞いてきたとき、「いや、拾いました」とだけ言っておいた。まさか“魔力で引き寄せた”なんて言えるわけがない。

 後日、人の多い商店街で試したら、予想外の現象が起きた。
 「集まれ」と言った瞬間、近くの自販機や自転車の金属部が“ガタッ”と震え、
 しかも金のブレスレットをしたおばさんの腕が、俺の方に少し引っ張られた。
 慌てて止めた。あれは完全にアウトだった。
 ――下手をすると「金だけでなく、金を身につけている人間」まで引き寄せてしまう。

 「鉛から金を作れないか」という、古代の錬金術師が好きそうな発想も試した。
 結果、微妙に成功した。でも鉛が“金色の鉛”になっただけで、比重も輝きも偽物。 効率は最悪。たぶん“本物の金”を少し引き寄せてコーティングしてるだけだろう。

 ところが、面白い法則も見つかった。
 最初に作った金塊を手に持ちながら発動すると、成功率が上がるのだ。触媒みたいな役割なのかもしれない。以後、その金塊を溶かして指輪に加工し、右手の中指に装着した。
 ――理系っぽく言えば、魔力共鳴装置である。文系的に言えば、厨二の極み。

 そうしているうちに、机の下には小さなインゴットが並び始めた。使わずにいたのに、気づけば一億円相当の金塊ができていた。税務署どころの話じゃない。これを換金したら人生が変わる。けれど、それが一番危険だと直感で分かる。

 俺はホームセンターで安いダンベルを買い、その中をくり抜いて金塊を詰めた。 表面を溶接して元に戻す。――世界初、純金製トレーニング器具の完成である。持ち上げるたびに手首が折れそうだが、精神的な筋トレにはちょうどいい。

 この日、俺は思った。
 「魔法の研究って、論文にできたらノーベル賞も夢じゃないな」と。
 ……たぶん、現実逃避の副作用だ。


金塊を指輪に加工したとき、彼は考えていた。
 「指輪にすれば装飾品だし、地金よりも換金しやすいだろう」と。
 理屈は単純だ。インゴットそのままよりも、指輪やネックレスに加工しておけば、店員の目も少しは鈍る。手作り感があれば「アンティーク」「年代物」と言い逃れもできる。そう思ったのだ。

 加工は拙かった。
 ホームセンターの簡易工具と、昨夜こねた“金粘土”的素材を溶かし、型に流し込んで冷やす。指輪の輪郭は歪んでいて、表面には小さな溝ややすり目が見える。刻印などあるはずもない。どこからどう見ても素人の「自家製」だ。だが、指輪は確かに金色に輝いていたし、ずしりと重かった。

 「まずは小手調べ」と彼は決め、駅前の小さな金券ショップ兼貴金属買取の店に入った。店内は古いテレビで相場を流す簡易的なつくりだ。店員は中年の男性で、客の回転が速い。
 蓮は胃をぎゅっと締めつけられるのを感じながら、指輪を差し出した。

 「んー、刻印ないねぇ。これ、どういう経緯で手に入れたんだい?」
 「あ、えっと、知り合いから…えーと、いただきもの、で…」
 言葉がまったく出てこない。理系の彼が咄嗟に嘘をつくと、必ずどこか穴ができる。店員は指輪を軽く叩き、色と音を確かめる。表面の荒さに眉を寄せる。
 「うち、鑑定は簡易だから…刻印がないとね、どうしても査定は低めになっちゃうよ」
 査定額は想定よりだいぶ低かった。彼は一瞬計算機を取り出し、脳内で「一億」がどれくらい笑い飛ばせるかを考えたが、ここは生活費だ。泣く泣く売却する。

 町を出て、心の中で何度も言い訳を練った。だが二日後、彼は思い切ってもう一軒の買取店に向かった。二軒目はチェーン店で、窓に大きく「高価買取」と書いてある。店内は客が多く、女性店員が応対してくれた。
 「ご本人確認をお願いします。身分証のご提示を」
 指輪と身分証を提示する。チェーン店は法律に忠実だ。背後のカウンターでスタッフ同士が小声で話しているのが聞こえる。査定は最初より高かったが、それでも蓮の期待には届かなかった。

 「出どころは?」と再び問われたとき、蓮はしどろもどろになる。
 「え、えっと…中古で買ったものに入っていました、ということで……」
 口ごもるのが良くないと自分でも分かっているのだが、言葉がまとまらない。彼の顔は赤くなり、所作がどこか不自然に見える。店員は端末に入力しながら、社内用語で「要通報」「盗品の可能性あり」と呟いたように聞こえた。

 査定が終わると、店員が名刺を差し出しながら小声で言った。
 「うちでは高額買取の際は、念のため本部へ情報共有することになってます。お客様、問題があるとは思いませんが…」
 その「情報共有」の言葉が、蓮の体を冷たく走り抜けた。店を出るとき、彼は軽く震えていた。情報がどこへ行くのかを、まさか自分が直面することになるとは思わなかった。

 数日後、キャンパスの掲示板に小さく張り出された新聞の切り抜きが目に入る。『貴金属強盗、被害多数 地域で警戒強化』という見出し。事件現場の写真には、普段なら見逃すような住宅街の画像が載っていたが、ニュースは具体的な市内の被害と、押収された指輪の数を報じていた。警察は「貴金属に関連する不審取引情報」を募集している、と締められていた。

 その日の夕方、彼のアパートに知らない番号から電話がかかってきた。表示は「警察署」。心臓が止まるかと思った。出ると、低い声で「大学の関係者に少しお話を伺いたい」と言う。翌日、上着の襟がよれよれになるほどに緊張しながら、彼は事情聴取室の椅子に座っていた。

 「先週、この周辺で貴金属の強盗事件が相次ぎましてね。被害品の特徴や、販売ルートに関する情報提供がありまして…その中で、あなたの売却した指輪がリストに挙がっていまして」
 刑事の言葉は淡々としているが、その視線は鋭い。彼はだまって答えた。
 「僕は…中古で買いました。詳しくは…覚えていないです」
 どうにか通り一遍の説明をして、帰される。帰り際に刑事は「念のため、いただいた指輪の査定の際の領収書等は保管しておいてください」と言い残した。帰宅してから、蓮は自分の指輪を触ると、小さな冷たさと心地よい重みを感じた。それが逆に罪の意識を増幅させる。

 翌日、彼のスマホに通知が入る。買取チェーンの本部からの自動連絡だ。
 「お客様が先日お持ちになった品について、当社の加盟店で不審な取引の可能性があるため、警察に情報提供しました」──という内容だった。文面は事務的である。だがその事務的さに、彼は底知れぬ虚しさを感じる。店が、匿名で通報してくれたのではなく、情報を投入した瞬間に、どこか遠くのレーダーが動いている気がした。

 強盗事件そのものは数日後に一応の解決を迎える。被疑者が捕まり、一部被害品も発見されたという。新聞には「組織的な窃盗団」との見出しが出た。だが、皮肉にもその「解決」が、蓮の金を売る道を狭くした。警察が強化したのは、路上の防犯カメラのチェックや、貴金属買取店への通報義務の徹底だった。チェーン店はより厳しくなり、個人間の小口取引でも身分と出所の説明が必須になった。

 結局、蓮は指輪を二軒で手放し、手元には小銭と、思い出と、なにより「警察に情報が渡った」という事実だけが残った。金銭的には助かった部分もあるが、心のどこかで異様な空虚感を抱えていた。売却履歴は電子データとして存在し、どこかで誰かがその断片を見ている。自分の“錬金”が、不可視のネットワークを震わせてしまったことを彼は悟る。

 彼は自分の右手にある指輪を見つめる。指輪はまだ彼の中指に収まっている。冷たく、ずしりと重い。
 「これを換金するには、もっと賢く動かないとダメだ」
 と、彼は自分に言い聞かせた。街は知らぬ間に目を光らせるようになっていた。貴金属を扱う業者は警戒を強め、警察の嗅覚は敏感になっている。かつてのように、気軽にポケットに入れて換金に走ることはもうできなかった。

 夜、窓の外の街灯が淡く揺れる。小さな金の輪は、月明かりを受けて光る。彼はそれをはめたまま、もう一度深く息を吐いた。面接のために仕立てたスーツはクローゼットの中だ。就活と税務と、そして“説明できない金”の三角関係が、これから先の彼をじわじわと縛っていく予感だけが残った。