2025/11/04 01:05 公開
――その瞬間、空気が変わった。
部屋の中の蛍光灯の光が、なぜか金色に見える。いや、金色というより、「金属的に反射する光」だった。
昼間の太陽の下では決して出ない、人工的で、けれども異様に生々しい輝き。
「……なんだこれ?」
就活用のスーツを着たまま、手のひらに視線を落とす。
指の間から、まるで砂鉄が逆流するように、キラキラとした粒子が浮かび上がってくる。 怖い。でも、止められない。
粒子は手の甲を伝い、腕を這い、肘のあたりで光の筋になった。
「ちょ、ちょっと待て、俺、寝不足か?」
思わず独り言が漏れる。昨日は徹夜でエントリーシートを書いていた。幻覚が見えてもおかしくない。けれど、指先の光は確かに温かかった。カイロみたいなぬくもりがあった。生きてるような熱だ。
「……金でも出てくればな……」
冗談半分、ぼそっと呟いた。就活、交通費、昼飯代、履歴書印刷代。財布はスカスカ。思わず出た貧乏学生の愚痴――それが引き金だった。
パチン。
乾いた音がしたかと思うと、空気が一瞬凍りついた。 次の瞬間、視界がまぶしいほどの金色で満たされた。
「うわあああっ!? なにこれ!?」
机の上に置いてあったボールペンが光を放ち、ノートが金粉を撒き散らすように輝く。スマホの液晶まで金色に染まっていく。カーテン、マグカップ、キーボード――ぜんぶ、金。
「まってまってまって!やばい!やばいって!」
部屋の中が高級貴金属店みたいにきらびやかになる。しかも眩しい。反射で目が痛い。とりあえずペンをつかんでみたが、やけに軽い。
「……え、軽っ。プラスチックのまま? 金メッキか?」
表面を爪で引っかくと、内側から青いインクが見えた。どうやら、金色になったのは外側だけらしい。
安堵と同時に、なにかが体の奥からスーッと抜けていく感覚があった。 それと同時に、光が少しずつ引いていく。部屋は再び、貧乏学生らしい安アパートの一室へと戻った。
……ただし、手のひらの上を除いて。
そこには、小さな光の粒がいくつか、まだ渦を巻いていた。まるで、「名残惜しい」とでも言うように。
「……戻れ」
なぜかそう言葉が出た。意識していなかった。
すると、その光がゆっくりと集まり、手のひらに凝縮していく。
ゴトッ。
重い感触。見れば、手のひらに金のインゴットが乗っていた。名刺ほどの大きさで、指先にずっしりと重みがある。
「……いやいや、いやいやいや! 嘘だろ!?」
机に置くと、金属特有の鈍い音が鳴った。手汗で滑るほどの現実感。
金色の反射が壁に映る。――この瞬間、彼は理解した。自分の人生が、ほんの一瞬で常識の外に跳ね飛ばされたことを。
その夜、彼は眠れなかった。手のひらに乗った金のインゴットは、机の上で静かに光を反射している。まるで小さな太陽の欠片みたいに、薄暗い六畳間をぼんやり照らしていた。
「……いや、さすがに夢だよな。俺、寝不足だし。徹夜二日目だし」
言葉に出しても、現実味は戻ってこない。試しにスマホのライトで照らすと、光沢の反射が本物の金属特有の“柔らかい鈍色”だった。どう見ても、プラスチックではない。理屈が崩壊しているのに、目の前にある感触だけが圧倒的に“現実”だった。
遡ること数時間前。
彼は、ベランダの窓を開けた。深夜二時。アパートの裏には小さな空き地があり、そこから吹き込む風が少し湿っていた。街灯のオレンジ色の光がかすかに霧を照らしている。静かすぎて、耳鳴りがする。その耳鳴りが、ふと――低い「うねり」に変わった。
「……風、じゃない?」
空気がざわめく。まるで部屋の中に“もう一つの空気層”が生まれたようだった。
音も匂いもわずかにズレている。ベランダの外の夜が、じわりと光って見える。
輪郭の定まらない光。白とも青とも言えない、虹の中間みたいな色。それがゆっくりとこちらへ滲み出してくる。
「……まぶしいな」
目を細めた瞬間、その光が――体の中に飛び込んだ。
痛みはなかった。ただ、全身が内側から震えた。静電気でも走ったように、腕の毛が一斉に逆立つ。心臓の鼓動が、自分の体じゃない場所から聞こえる気がした。
胸の奥で「何か」が息を吸って、目を覚ます。そんな感覚。
「……っ!」
膝が抜けて床に座り込む。手のひらが熱い。まるで呼吸しているように脈打っていた。机の上の紙がふわりと浮き、部屋の空気が渦を巻く。 電球がチカチカと明滅し、パソコンの画面が勝手に点く。
“異界との経路ができた。”
そんな言葉が、どこからともなく頭に浮かぶ。まるで誰かが直接、脳の中に吹き込んでくるみたいだった。知らない声なのに、妙に懐かしい。その声と同時に、体の中心を一本の“光の管”が通る感覚があった。上から下へ、天と地を結ぶように。
「……ああ、これが……」
言葉にならない。けれど確かに、「この瞬間、自分と何かが繋がった」と理解した。 空気が静まり返る。光が消えると、部屋の中は再び闇に戻った。ただ、どこか遠くで“もう一つの世界”が息をしているのが分かった。それは見えないのに、確かに存在している。
――異界エネルギーとの接触。後にそう呼ばれる、最初の現象だった。そしてこの出来事をきっかけに、彼は“奇跡の実験”へと踏み出すことになる。
講義をサボって、自分の部屋でYouTubeをだらだら見ていた。 画面の中では、金ピカの大理石フロアを歩く外国の富豪が、「すべて24金の特注家具です」とか言っていた。天井から下がるシャンデリアまで金色。階段の手すりも、トイレのペーパーホルダーも、何もかもが金。
「……金でもあればなぁ」
思わず口に出して、カップ麺のスープをすすった。次の瞬間、部屋の空気がぴしりと鳴った気がした。
そして――光。
目を瞬かせる間に、世界が金色に染まった。
壁紙が、床が、ノートパソコンが。冷蔵庫の取っ手まで、ぜんぶ黄金色に。カップ麺の残り汁すらキラキラ反射している。
「……おおおおいっ! なにこれ!? 俺の部屋、宝塚の舞台かよ!」
光の洪水に包まれながら、立ち上がる。どこを触っても、硬い金属の手触りが返ってくる。ペンを手に取ると、やはり金色。しかし軽い。分解すると中身はプラスチックのままで、金色になっているのは表面だけだった。
「……まじでメッキかよ。でも、どうやって?」
試しに、昨日みたいに口に出してみた。
「戻れ」
言葉が空気に溶けた瞬間、部屋中の金色が液体のように動き出した。床から、机から、壁から―― 光の粒が滑るように集まり、ひとつの方向へと流れていく。
それがすべて、俺の手のひらに吸い込まれていった。眩しい光。圧縮される感覚。
そして、ずしりとした重み。手のひらには、さっき見た豪邸のドアノブくらいの大きさの金塊が乗っていた。
「……え、これ、やばくね? 税務署とか来ないよな?」
現実味が追いつかない。焦りと興奮の間で呼吸を忘れ、変な音が喉から漏れた。
そのとき――
「へっくしょんっ!」
突然のくしゃみ。反射的に両手が跳ねて、インゴットが空中に浮かぶ。金の塊はぐにゃりと形を変え、部屋中に飛び散った。
天井、壁、机、冷蔵庫――全部が再び金粉まみれ。
「うわああああっ!? 掃除どうすんだよこれ! ルンバ爆発するぞ!!」
絶望の中で、もう一度口走る。
「……固まれっ!」
その瞬間、金色の粒がピタリと空中で止まり、ゆっくりと螺旋を描きながら集まり始めた。音もなく、空気を切り裂くように。そして――手の前に、やわらかい金色の塊が生まれた。
触ると、冷たくて、柔らかい。まるで温めた粘土。押すと指の跡が残る。ちょっと伸ばすと、びよーんと伸びる。
「……なんだこれ。物理法則がパートタイム勤務してる……」
試しに球を作ったり、ハートを作ったり、インゴットを粘土細工みたいにこねてみたりした。形を変えるたびに、金の表面が呼吸するように脈打つ。思わず息を呑んだ。
「固まれ」
今度は意図して、心の中で強く念じた。粘土状の金がピタリと動きを止め、冷たく固まる。音もなく、重く、完全に“金属”になった。
机に置くと、コンッと低い音が響いた。重さ、冷たさ、手触り――どこからどう見ても金だった。
「……なにこれ、もしかして俺、産金スキル獲得した?」
我に返った瞬間、笑いがこみ上げてきた。自分の手でこねた“金粘土”を見つめながら、思わず声を出して笑った。
「これ……就活、行かなくていいんじゃね?」
そう言ったあと、笑いが止まらなくなった。
部屋の中には、光る金と笑い声だけが残った。